世界遺産登録推進セミナーin大牟田

コーディネーター:加藤康子氏

パネリスト;古賀大牟田市長、映画監督の熊谷博子氏、中野浩志NPO大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ理事長、田中久仁子氏。なお、写真は当日のものではありません。


以下、記録をメモしたもの。詳細は違っているかもしれません。
幕が一旦下りたあとで、パネルディスカッションが始まる。
各自自己紹介的コメントから。
熊谷博子監督

熊谷博子氏
「はじめて大牟田に来たのは閉山の翌年である1998年。東京で育ち、炭鉱についてはまったく知らなかったが、大牟田で「歴史を生かしたまちづくり」というシンポジウムがあり、その前にはじめて宮原坑を訪れ、すごいものに触ってしまった此れを撮りたい、と思った。
地元の人などにいうと三池には負のものが多すぎて消さねばならないと言われた。
囚人労働、与論、外国人労働、争議、炭塵爆発などの重い歴史は日本の歴史そのものであり、これを消すことは人々の思いを消すことになる。建物ではなく、肉声記憶を伝えたい。」

古賀大牟田市長 古賀道雄大牟田市長
「平成15年から市長を務めているが、それ以前3期12年間市議で閉山時には市議会の石炭対策委員会の委員長だった。このころに加藤さんにあった。石炭遺産を後世に引き継がねばという思いがあり、平成12年に市議会で質問した。
市長就任後、三池港100周年、近代化遺産基金など市の教育文化の施策としてやってきた。近代化・戦後復興の歴史はまちの誇りであり、それを学び町への愛や先人たちへの敬意が目覚める。
昨年の市民懇談会ではテーマに近代化遺産とまちづくりを取り上げ、また今年からは中学校における出前講座の中で(市長自らが)若い世代に対して語っている。
昨年三池炭鉱が世界遺産の暫定リスト入りし、10月には専門家委員会から遺産群の中で残存状態がもっとも良いとの評価をいただいた。
宮原坑はそれまで木製だった立て坑の櫓が金属製に変わった革新的場所であり、三池港について團琢磨は「石炭山の永久などありはせぬ。築港をやれば、石炭がなくなっても新たに産業を興す ことができる」と語った。
暫定リストに載っただけでも喜ばしいことだが、本登録を全力で目指したい。今年4月より世界遺産登録推進室を設置し、わたしが本部長となる世界遺産推進本部もたちあげた。
そのなかの広報ワーキンググループで企画したのが本日のセミナーである。」



三池港1dayカフェ

田中久仁子氏(三池港1dayカフェ代表)

「自分の一族は少なくとも文久二年からは大牟田に住んでいるが、大牟田の歴史についてはあまり知らなかった。
学校を出て15年ホテルに勤め、その間出張で大牟田を訪れた23か国の人に会った。観光について聞かれても柳川などを案内していた。
その後、商工会議所の「町育てリーダー養成講座」に出たところ、福岡県の土木事務所の三池港活用の計画策定の会議に呼ばれた。
その頃は港倶楽部のブライダルの担当にいたのだが、そこで歴史を見る中で三池港はすばらしいと思うようになり、何かやろうということで2年前に三池港1dayカフェをやった。(写真が掲示される)
誰でも参加できるように細かいことは決めていない。これを機会に次のステップに踏み出したい。」




中野浩志理事長

中野理事長
「10年前に大牟田へやってきて、いつのまにか住み着くことになった。最初大牟田に来た時の住所の近くに宮原坑があった。団体ができて最初にやったのはウォーキングだった。炭鉱があったのは知っていてもそれがどこにあるのかは今以上に知られていなかった。ついで、宮原坑のところの白坑住宅の改修を協働で行った。
心象風景を次の世代へ引き継ぐことがわたしたちの活動。





パネルディスカッションその2
2010.08.03記録。


2010/08/17 wrote: