赤紙ーみいけの年表

昭和41年1月5日
 韓国労務者の雇用へ 石炭業界、今春調査団を派遣
 人手不足に悩む日本の産業界と、失業に悩む韓国との経済協力が今後労働力の面でどう展開するか注目されている。 韓国は西ドイツに過去2年間2233人の炭鉱労働者を派遣している。

昭和41年1月28日
 崩落で2人に死ぬ 夕張北炭平和鉱(夕張市真谷地)

昭和41年1月29日
 国家資金で新鉱開発 石炭審の政策懇談会 調査団派遣を決定
 新しい構想はこれまで各企業が石炭鉱業合理化事業団から50%の融資を受けただけでは手に負えない大規模な新鉱開発を 国が大幅に出資する特殊法人で受け持つというもの。埋蔵量が大きく品質も良好な炭層が対象となるが、具体的には北海道 の大夕張、九州の有明海などが候補にあげられている。

昭和41年2月5日
 全日空機、羽田沖で墜落 133人が絶望

昭和41年3月5日
 羽田でカナダ航空機炎上 死者59・絶望4 着陸に失敗
 英旅客機 空中分解 富士山墜落 死者多数か

昭和41年3月22日
 北海道の空知炭鉱(歌志内市本町)2人死に10人が不明 坑口から300メートル ガス爆発か

昭和41年4月9日
 3人が絶望 漆生炭鉱で坑内出水 福岡県嘉穂郡稲築町

昭和41年4月11日
 ガス噴出 2人死ぬ・1人絶望 ボーリング中 また山野鉱

昭和41年6月1日
 改善されぬ組夫制度 筑豊・山野鉱爆発から1年
 炭鉱に直接雇われる鉱員を直轄鉱員と呼ぶのに対し、採炭を炭鉱から請け負う下請けを「組」といい、そこで働く従業員を 「組夫」という。全国の組夫は約26700人。直轄鉱員約13万人の20%にあたる。閉山が進むにつれ、その比率は高まる一方であ る。正鉱員であれば、会社側は退職引当金を積み立てねばならない。福利厚生費も高い。万一、生命にかかわる事故でも起きる と補償も大変だ。ところが請負組夫を使えば責任は組長に転嫁され、これらに支払われる費用はケタ違いに安くなる。どん底に あえぐ炭鉱の経営者にとっては、組夫制度は文字通り”救いの神”なのである。もともと直轄鉱員から差別され、低い地位に追 いやられていた組夫たち。相次ぐ合理化で組の経営状態が悪くなり、ますます追いつめられている。
 炭鉱労働者の被災率は他産業の15倍以上。その炭鉱の中でも組夫の昨年の死傷率は直轄鉱員の2倍半。採炭跡の残炭掘りや機材 の引き揚げを撤収という。多くは最も深い所で行われる。老朽ヤマの多い筑豊炭田ではこの作業が多い。そして、そのほとんど が組夫にまかされている。無気味な周囲。いつ落盤が・・・と絶えずつきまとう不安。太陽のない陰うつさ。危険最前線である。

昭和41年8月2日
 文化大革命 中国に紅衛兵旋風

昭和41年8月3日
 病は重し筑豊のヤマ 石炭答申は出たけれど

 斜陽の石炭産業救済対策の、おそらくはこれが最後という「石炭鉱業再建抜本策」が先月25日、石炭鉱業審議会から政府に 答申された。年間出炭規模を現在よりマイナス1千万トンの5千万トン、いいかえれば大手中堅クラスの20鉱分のヤマをつぶせ、 というのである。余る石炭による共食い、総倒れを防ごう、という答申と対策は、すでに2回も出ている。だが、立ち直るどこ ろか、閉山、失業の傷跡だけが深まる。もう二度と救済の手は打たない、ともとれる。

 子供を残し逃げる親 生きる気力もなくして
 福岡県田川郡の養護施設田川湯山荘、置き去りにされたヤマの子らを収容している。八つと七つの兄妹の父親は数万円の 退職金と失業保険を手にしてパチンコと競輪に狂い、働こうとしなかった。母親は若い男と逃げた。兄妹の服は夏冬兼用。 すり切れて肌がのぞいていた。また、施設には乳離れしていない赤ん坊もいた。

 福岡県田川郡の生活保護世帯数は8131。3.7世帯に1の割合で全国一。かつて田川郡にあった大小250のヤマがいまはただ の20。若者や働ける人のほとんどは去り、残った8千余世帯、24000人のほとんどは生活保護組だ。働けても働こうとせず、 保護費で生活する人たちを周囲は”国家公務員”と呼んだ。

昭和41年8月12日
 責任者ら22人全員不起訴 三井三池三川鉱炭じん大爆発事故 原因に決め手なし

昭和41年8月14日
 ナゾに終わった爆発原因 捜査陣まで意外な表情 限界示した「炭鉱学」 災害防止の前進にも支障

昭和41年8月16日
 海底炭鉱で火災 長崎県大島鉱 坑底になお5人 37人ガス中毒  長崎県西彼杵郡大島町の松島炭鉱大島鉱業所(2240人)は、佐世保市の南西22キロの離島にある海底炭鉱。

昭和41年10月5日
 不起訴、納得出来ぬ 三池事故 福岡県警が見解
 「警察は、会社幹部に保安管理上の過失があると判断して送検した。この判断は今でも正しいものと考えている」と答えた。

昭和41年10月11日
 三菱・南大夕張鉱で起工式。きびしい石炭鉱業審議会の答申の影響から閉山が各地で起こり始めている中で、北海道夕張市 南大夕張で10月午前11時から三菱鉱業南大夕張新鉱開発の起工式が行われた。同地区は石狩炭田の一角にあり、政府から全国 で2箇所だけ新鉱開発の指定を受けた一つ。45年上期から採炭を始め、47年下期にはフル操業にこぎつける予定。計画によると 完全機械化で行われる。従業員は千人で、完成すればわが国の代表的なビルド鉱の一つになる。

昭和41年10月22日
 児童ら200人絶望 英国 巨大なボタ山崩壊。21日朝9時頃、南ウェールズ、グラモーガンの炭鉱村 アバーファンで、豪雨のため巨大なボタ山が崩壊し、近くの小学校と民家を押しつぶした。

昭和41年10月26日
 労災補償打ち切る 三池災害の一酸化炭素中毒者 "働ける"と医師が判断
 炭じん爆発事故のガス中毒者738人の労災補償が10月いっぱいで打ち切られることになった。医師が「職場に帰れる」と 診断したのが理由。補償開始後3年目の一応の区切りとして、去る8月、勝木九州大学教授らが現在なお入院中の822人の患 者を検診した結果、
 1.  738人は労働能力が回復し、職場復帰に支障がない
 2.  26人はなお長期にわたって療養を続ける必要がある
 3.  58人はさし当たり療養が必要だが、さらに職場復帰の可能性がある
と診断したことによる。

昭和41年10月29日
 このため労働省が今月末で労災補償打切りを決めた患者738人のうち、新労組・職組・組夫関係の471人が治癒認定を受け ることになる。これで治癒認定に反対して残るのは三池労組所属の患者だけになる。

昭和41年11月1日
 6人死に10人不明 北海道住友奔別鉱ガス爆発
 北海道三笠市奔別にある同鉱は明治29年開坑。昭和4年住友石炭鉱業となり、現在3200人の大手炭鉱。ガス爆発は初めて。

昭和41年11月3日
 三池労組が24時間スト 中毒の回復認定に反対

昭和41年11月8日
 会社過失、きょう時効。三井三池三川鉱炭じん大爆発事故からまる3年。

昭和41年11月10日
 三川鉱災害 新労組の125人も異議

昭和41年11月25日
 三井三池三川鉱炭じん大爆発事故の補償打ち切り

昭和42年1月25日
 2人死に2人不明 大夕張鉱 ガス突出で崩落
 24日夜9時半頃、夕張市鹿島の三菱鉱業大夕張鉱業所の坑口から約6千メートルの採掘現場でガス突出と思われる崩落事故が 起こった。同鉱業所は昭和3年から採鉱を始め、終戦時には3千人の従業員がいたが、数年前から合理化を行い、従業員1900人、 下請け300人で月産7万トンを出炭し、企業的にも能率の高い炭鉱として注目されていた。

昭和42年2月15日
 少女の期待もむなしく 北海道豊里炭鉱 ついに閉山へ
 「ヤマをつぶさないで・・・」と炭鉱の少女が首相に直訴して話題をまいた北海道赤平市の豊里炭鉱(従業員550人)は3月末 で閉山することになり、少女の期待は裏切られた。

昭和42年3月2日
 北海道美唄市にある三菱鉱業茶志内炭鉱(従業員350人)の4月1日閉山が正式に決まった。

昭和42年3月26日
 炭鉱で土砂崩れ2人死ぬ 北海道芦別市高根町 芦別高根炭鉱

昭和42年3月29日
 落盤で生き埋め2人死ぬ 茨城県北茨木市日本炭鉱磯原鉱業所

昭和42年4月20日
 崩落で4人生き埋め 夕張市の北海道炭鉱汽船会社平和鉱業所

昭和42年5月4日
 落盤、2人死ぬ 佐賀の杵島炭鉱

昭和42年7月1日
 生き埋め、6人死ぬ 北海道阿寒郡阿寒町の雄別炭鉱

昭和42年8月5日
 肩代わり額まとまる 石炭大手13社の再建計画
 今度の石炭再建案は急ピッチに進んだ多数の閉山で、石炭産業の合理化が予想以上に早まり、石炭各社が大幅な赤字に 苦しむことになったためとられたもので、長期(1年以上)の異常借入金のうち、総額1千億円に限って政府が肩代わりす る。なお、大手の中で経営状態のいい太平洋炭鉱、松島炭鉱、日鉄鉱業、宇部興産の4社は今回の肩代わりの対象に入っていない。

 閉山合理化(スクラップ・アンド・ビルド)と同じような石炭対策を取った西ドイツや英国と違って、退職金制度を持つ 日本の石炭業界は、急速な人員整理の結果、巨額の退職金の支払いに迫られ、これらが他の経理部門をも圧迫した。今度の 肩代わりは、放っておけば崩壊を待つばかりの石炭産業を建て直す最後の抜本策として、1千億円もの異常債務を国の資金で 帳消しにするというもので、国民の税金をつぎ込んだこれらの金が石炭業界の建て直しに本当に役立っているかどうか、必 要なら大胆に手直ししてゆかねばなるまいと、指摘する向きが多い。

 九州にある90の炭鉱の石炭生産額は年間せいぜい800億円程度。北九州市にある八幡製鉄所の3分の1にも足らない。そんな 石炭を年々数百億円もの国家資金をつぎ込んでなぜ守らなくてはならないのか。こうしたなかで、一昨年から出炭量で九州 を抜いて日本一の産炭地になった北海道。その中でも太平洋炭鉱だけは年1割配当を続けている数少ない黒字会社。今度の再 建策でも1円の肩代わりも受けていない。先鋭だった労組との関係改善。他社に先駆けた機械化。連続操業方式の導入。次々 に打ち出した対策で最高の能率を上げている。「旧財閥系のように資本や金融のバックはないので下手をすればつぶれる。 その切迫感がこれまでの自主独立の経営を支えてきた」と、同社札幌事務所長は説明する。この言葉には"親方日の丸"的な 他社への批判が込められている。果たして、他の社に、太平洋炭鉱ほど経営態度のきびしさがあるのだろうか。政府も1千億 円もの財政資金をつぎ込む以上、企業の体質を思い切って改善するような強力な指導が必要だろう。

昭和42年8月26日
 山野鉱で落盤、2人死ぬ 福岡

昭和42年9月28日
 三池三川鉱で坑内火災 二百数十人がCO中毒 死者6、不明1。28日午前5時頃、大牟田市西港町 三井三池三川鉱坑内で 火災が起こった。また襲う後遺症の不安、無理な採炭たたる。

 事故が起こりやすくなっているのはなぜか。ヤマの関係者は口をそろえて人不足と老齢化をあげる。新しい石炭政策が スタートし、ヤマの再建が始まったばかりだというのに、このところ出炭不振が続き、計画を達成出来そうにない。そこで 各ヤマとも他の仕事を多少遅らせてでも採炭に人を回すというやりくりに懸命。こうした無理なやりくりが鉱員の疲れを招 いているようだ。

昭和42年9月29日
 三川鉱を強制捜索 福岡県警 会社の責任を追及

 宇部市の海底炭鉱、宇部興産宇部鉱業所は29日閉山し、1238人の全鉱員を解雇した。これで明治30年創業70年の歴史を閉じる。

昭和42年10月16日
 大日本炭鉱磯原鉱業所を閉じる 茨城県北茨城市

昭和42年10月17日
 19日ぶりに生産を再開 三井三川鉱

昭和42年11月5日
 3人が死ぬ 三井芦別鉱坑内で事故 北海道芦別市西芦別

昭和42年12月2日
 5人の労災打切りを取り消す 三池鉱CO患者に労働省が結論
 労災打ち切りが取り消されたのは旧労組員4人、新労組員1人で、今後も療養補償金と休業補償金が支給される。 残り350人は治癒と認定された。

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