赤紙ーみいけの年表

昭和38年1月30日
 炭鉱で爆発 3人死ぬ 佐賀県新長炭鉱 臨時休業でガス爆発。同鉱は従業員125人。29日福岡鉱山保安監督部から 坑内保安設備が悪いと改善の勧告を受けたばかりで、36年9月17日にもガス爆発を起こし9人が亡くなっている。

昭和38年3月28日
 子どもの歌も悲し。
    あと少しで5年生だ
    でも この山は閉山
    うれしいこと かなしいことが
    いっしょになって やってきた
    5年生になったらこうしよう
    そういう夢は たくさんあるが
    いちばん大きな夢は
    この山で5年生になることだ
    (美唄市三井小学4年 和田典子)

 北海道美唄市三井小学校には、ひところ3600人の児童が通い、全国一大きい小学校と言われた。ほとんど全部が三井鉱山 美唄鉱業所の従業員の子どもたち。相次ぐ合理化でいまは1900人に減ってしまった。余った机が校舎の片隅にうず高く積み 上げられている。会社側の提案通り完全な閉山となれば、この学校そのものもどうなるかわからない。「会社側が閉山を強 行するなら、組合の手だけで石炭を掘り続ける」と三井美唄の組合役員はいう。しかし、ヤマの従業員、家族、関連産業の 人たちが人口の2割近くを占め、同社関係の税収が総額の7分の1を占めるこの町には”閉山”の声に追われるあわただし い空気が流れていた。1700戸の炭鉱社宅の一部は次々に取り壊され、まるで歯が抜けたよう。町を吹き抜ける風が冷たいの は、まだボタ山に雪が残る北海道の春の遅さのためばかりではないようだった。

 家計切り詰める主婦。田川鉱主婦会長(50歳)は言う。「これまで中小鉱山の閉山がある度に、主婦会の解散式に行き、 "気の毒だなあ"と思ってましたが、まさか自分の身にふりかかるとは・・・。一時は大変な動揺でした。賃金の一部タナ上 げや遅\配もはじまっているのでまず家計の節約を皆さんに呼びかけています」。田川鉱を舞台にした"月が出た出た、月が 出た"の炭坑節も、近頃はさっぱり歌われないそうだ。(産炭地を見る(上)より)

昭和38年3月30日
 むずかしい企業誘致
 三井山野鉱のある福岡県嘉穂郡稲築町では土地や家屋の値下りがひどい。それだけに"産炭地を救え"という町ぐるみの運動 も真剣で、さきごろ福岡県庁\へ集団陳情にいったときには、ここの商店街は一斉に臨時休業、死んだ町のようになったという。

 冷たい農村の声
 年間で延べ5万人の季節労務者をヤマの主婦から募集してきた美唄市周辺の農村でも「合理化でヤマから来る人手は少なく なるが、農家にとってはそう痛手にはならない。組織を背景に賃金をつり上げてきたのは炭鉱の人たちなのでねえ」という、 むしろ冷たい声もあった。
 その美唄の町には、工業港の開設で活気づいた苫小牧市の土地業者が、炭鉱離職者の退職金と商店の移転資金を狙って、 「来たれ苫小牧へ」というポスターを張り巡らし、市民を追い立てているように見える・・・。(産炭地を見る(中)より)

昭和38年3月31日
 「一つ九銭」の内職
 福岡県内職センターの世話で450人の主婦がアイスクリームの紙カップを作る内職をはじめた。一つ九銭のものを1日に千個 作って月2700円ぐらいになる。「酒代だけでも・・・」と、勤めを終わったご主人も精を出すこともあるという。

 小さな島に百億円
 これから増産をいそぐ"ビルド鉱"のひとつ、松島炭鉱池島鉱(長崎県)でようやく明るい表情をとらえた。ここの組合の 支部長はこう言っている。「アパートが足りないのと、離島のため食物の鮮度が落ちるぐらいが不満な程度」。奥野池島郵便 局長は、「定期預金は850万円。目標の4倍以上となった。社内預金や社内信用組合があってもこんな好成績です」、柴田鉱業 所長は、「いまは一人1カ月41トンの生産能率だが、機械化が進めば目標の60トンに高めるのはむずかしくない」と言った。
 炭鉱若返りのため今年から着工する縦坑建設の準備で賑やかなこの島を歩いてみても「鉱員アパートとして8階建て2棟、5階 建て3棟を作っています」など、聞く話はみな景気がいい。11年前に開発をはじめてから投じた資金が60億円、今後5年間にさら に40億円、合計100億円の資金が1平方キロに満たぬ島につぎ込まれるのだ。
 しかしこれらは例外に過ぎない。石炭調査団が示した方向は、「37年9月末現在17万9千人の炭鉱労務者を、5年間に12万人台 に減らす」というきびしいもの。しかも合理化は政府の考え以上に早いテンポで進められている。ほとんどのヤマはやはり不安 と怒りとあきらめの暗い雲におおわれているのだ。(産炭地を見る(下)より)

昭和38年5月3日
 炭鉱離職者に理解を 労働省がよびかけ。
 昨年4月から2月末までの炭鉱離職者の再就職状況をみると、産業別では、製造業が一番多く全体の61.4%。ついで金属製品 機械器具21.7%、化学ゴム・窯業・土石16%、自動車運転手・郵便配達人などの運輸通信業14.4%。また地域別では、愛知県 22.1%、東京都20.3%、大阪府17.5%、兵庫県12.8%の順。

昭和38年5月7日
 山口県小野田市の炭鉱(従業員約700人)で落盤。作業中の15人生き埋め。絶望か。

昭和38年6月2日
 3年で3分の1閉山。要保護世帯、全国平均の5倍 産炭地の現状調査まとまる。
 35年3月末に624あった全国の炭鉱は、今年の3月末には418の3分の2に減った。産炭地の人口は釧路市など特殊な一部の都会 を除いて減少の一途をたどっている。産炭地の市町村財政は鉱産税など炭鉱からの税収が減っている他、一般の住民税も減収 となっているのに対し、離職者に対する緊急就労事業や一般失対事業など財政支出は大きく、苦しい状態となっている。また、 炭鉱を得意先にしていた機械業者、土木建設、サービス業者などの打撃も大きい。

昭和38年6月4日
 ボーナス出さぬ 三井鉱山 賃下げ正式提案

昭和38年6月6日
 三井セメント発足。従業員の半数、田川・山野鉱離職者。

昭和38年6月29日
 石炭5法案
   ・ 石炭鉱業合理化臨時措置法改正案
   ・ 電力用炭代金精算株式会社法案
   ・ 石炭鉱業経理規制臨時措置法案
   ・ 重油ボイラーの設置の制限等に関する法律改正案
   ・ 産炭地域における中小企業者についての中小企業、信用保険に関する特別措置等に関する法律改正案
可決。

昭和38年7月2日
 三井鉱山の労使合理化協定調印
 来年3月末現在で52歳以上になる高年齢者580人に勇退を勧告するのをはじめ、病弱者、長欠者なども含み合計1200人を メドに希望退職を募集することになっている。

昭和38年7月6日
 北炭夕張鉱で崩落 支柱夫3人が死傷

昭和38年7月10日
 山口県小野田市の大浜鉱生き埋め 遭難15人の死亡を確認。15人生き埋め事故から2カ月余。家族からの申し出で会社は 合同葬を営むことになった。海底坑道の発掘作業は続けられているが、泥と水で難航。遭難現場にいつ到達出来るかまだ 見通しは立っていない。同社は作業に約1億円を投入しているが、遺品ひとつ発見されていない。

昭和38年8月23日
 宮川組合長ら10人解雇 三井三池鉱

昭和38年8月24日
 三池労組が抗議集会。同労組は同日午後、三池鉱業所正門前で抗議集会を開き、ジグザグ行進を行った。さらに会社から 渡された解雇通知書に白黒の水引をかけ、竹槍の先に結んで鉱業所内に投げ込み返上した。

昭和38年9月21日
 深まる衰退 産炭地は訴える 頼みの綱は企業誘致
 ピラミッドのようにボタ山を崩し、穴ぼこだらけになった鉱害地を埋める。その後はきれいに整地して石炭に代わる新しい 産業を興そう。"石炭のふるさと"筑豊では地域振興の声が高まる度にこうした計画が幾度か立てられた。
 だが筑豊の現状はいまだに見捨てられたまま。遠賀川沿いに炭田をのぼると廃墟となった炭鉱社宅、鉱害を引き起こした沈 没田、そして狭いデコボコの道路など、衰亡の色はますます濃い。
 県道沿いに並んだ商店街をにぎやかに埋めていた4万の人口は25000人に減り、しかも5軒に1軒は生活保護世帯だ。
 市の財政は破産寸前。商店街も商売にならず郡部回りの外商で息をついているという。
 「産炭地はこれまで石炭のために苦労もし、日本の発展のために随分つくしてきたはずだ。その挙げ句は使い古しのゾウキ ンのように見捨てられ、残されたのはボタ山と鉱害と失業者と貧困だけ」。昔校舎だったという古ぼけた木造の田川市役所市 長室で、全国鉱業市町村連合会長の田川市長は怒りをぶちまけた。「町ぐるみのスクラップ化を食い止めるためなら選り好み などしていられない。なんでもいいからとにかく企業を呼んでこなければ・・・」ー産炭地が企業誘致にかける期待はいまや必死だ。

昭和38年9月30日
 筑豊きっての大手炭鉱のひとつ、65年の歴史を誇った三井山野鉱(鉱員1200人)が30日閉山した。一切の施設は第2会社 「山野鉱業」に引き継がれ、10月1日から再出発する。

昭和38年10月19日
 3人生き埋め 三井四山鉱。18日午後8時半頃、熊本県荒尾市の三井鉱山三池鉱業所四山鉱の坑口から約6500メートルで 落盤があり、3人が生き埋めとなった。救出作業は困難をきわめ、3人は絶望視されている。

昭和38年11月3日
 産炭地へ関心高める企業 1年間に157件進出。進出企業の業種は、菓子工場、窯業、メッキ業、金属製品機械製造業、 縫製業などで、雇用人員は1企業当たり100人以下のところが多い。

昭和38年11月10日
 三池炭鉱三川鉱で坑内大爆発 171遺体を確認 重軽傷300人 350人なお不明
 9日午後3時10分頃、大牟田市三川町 三井三池鉱業所三川鉱の第一斜坑(長さ約2キロメートル)の坑口から約500メートル の坑道で大爆発が起こり、171人の死亡を確認したほか、重軽傷は約300人に上った。坑内には爆発当時1220余人がおり、うち 400人が脱出し、残り350人の安否が気づかわれている。
 原因は坑内の炭じんの爆発とみられ、昭和36年の上清炭鉱事故を上回る戦後最大の炭鉱事故となった。爆発の瞬間、坑内から 青い火と黒煙が坑外に吹き出し、爆音は数キロ離れた所まで響き渡った。会社側は三川、四山、宮浦などの各鉱から救援隊約 3000人を救出作業に当たらせたが、爆発後発生した一酸化炭素を中心にしたガスは坑道続きの宮浦鉱坑底まで充満し、作業は 難航をきわめた。爆風、落盤埋没による圧死、一酸化炭素中毒などが死因とみられ死体は全身真っ黒で見分けもつかずに爆発 のものすごさを語っていた。

 まっ黒い死体次々と 人車の周囲に重なり ちょうど交代時の惨事
 坑底からゆらゆらと明かりが無数に上ってくる。遺体を運び出す救援隊のキャップランプだ。ひとつ、ふたつ、三つ、四つ ・・ひきもきらぬ遺体の行列。「私らが駆けつけた時はみんな人車から這い出とりました。一生懸命逃げようとしたとですね」。 救援隊のひとりがツバを飲み込みながら語った。遺体はほとんどタオルでマスクをしていた。爆発後発生したガスを防ぐため にとっさにとった処置だろう。目をカッと見開いた者、苦悶にゆがんで虚空を握りしめている者・・・。惨事を招いた三川鉱 の炭住街新港社宅事務所の壁に貼られた紙に氏名が書き込まれると、「この赤インクで書いたのは死んだのですか」と叫ぶよ うに聞く。赤ちゃんを背負った婦人、説明する係員の声も途切れがちだ。

 悲しみの一夜明けて ひつぎが次々と・・・うずまく声にならぬ声
 社宅街には棺が次々に帰ってくる。緑ケ丘、大谷、万田・・・。犠牲者を出した九つの社宅は、幼い子供たちを残してみん な徹夜。そして朝になっても誰も動こうともしない。充血しはれあがった目が、棺の帰るたびにドッと集まってくる。「私が 回転まんじゅう焼きをして家を助けてきたばってん、あの子が死んでどうすればよかとですか。私は夕べから五へんもここに 来て、息子の無事な姿を見ようと思うとったに、もうだめですか」。記者に取りすがって泣くこの人をどう慰めればいいのか。

 「合理化が原因ではない」 安田所長語る

三池爆発事故死者の氏名
 西島元市 横山源太郎 高野光義 嶋村勝麻 西清 岩谷義賢 小山信
 甲木正行 中村正治 下山敬治 小田義則 古賀郁哉 平川茂 高尾
 池田一 中島学 角正明 俵牧作 野田武次 田中兼重 末松弘 日野喜久二
 丸山徹 甲斐田国男 山本義勝 竜四郎 中川明 金原久男 中川米光
 吉田大三 大塚昌英 荒木一成 奥田義之 稲富 大井春夫 荒巻勝義
 田所忠信 前田秀雄 日隈俊明 元村寅雄 浜田三郎 泉清次 坂田輝喜
 吉永市郎 渡辺 野口智生 山辺和人 塚本義人 城戸保 尾池誠 原田梅義
 鳥居一之 河野敬一 梅花寅次郎 大木英則 樫木三吉 平野満 河野光幸
 原望 柿原実法 上田朗 戸上美智夫 松本境 原竹雄 田中 浜田
 富田基一 吉村直 谷口兼行 北原定行 松野豊 前川豊 松本勉 森尾学
 角政美 大坪覚人 柿登 藤吉求 成清清広 北川実 中村仁志 菊川新一
 坂田又蔵 近藤孝允 村田勝喜 早野 堀田 野田陵 中村伝蔵 坂本宗義
 守田 森崎光寿 伊藤正義 中尾二三夫 伊田幸夫 香月輝夫 大賀清市
 吉田茂雄 前田政勝 浦川 田上政行 北原泰雄  山口喜市 高津
 末広 山口 桜井 坂梨春樹 南武 日野大正 森沢美晴 島貫長作
 中富義雄 荒木規 松岡 大藪実秋 原田鉄之助 大津 坂田義光 前田泰成
 古関等 河野良人 笠原 吉田 小川広海 森田祐己 吉原 川島喜八郎
 浜崎民彦 西川鶴松 戸塚 溝口泉 末吉光男 米倉正 田口 垣内 江口
 土山 野尻 中村重五郎 永利男 上田栄一 平川光治 清水 古賀登
 吉村重行 山本 荒川徳雄 養父安次 角高良 江崎数人 堀川満雄
 山本吉松 作山国義 尾崎寛 諸藤 松栄 坂口典行 竹本忍 崎坂
 浜村重信 千原友行 連尾 永松 野村 田中 坂口 堀江 藤崎昇
 北原信二 前原新助 亀井正夫 畑田 米川 吉田晃 平川末彦 馬渡
 松尾 木下正光 平川 福本 松岡 岡崎 塩塚達夫 工藤義則 岩崎国広
 坂口平次 香山雄三 大井 江頭与一 吉田 山田三郎 森 野田千五百 森勝利

昭和38年11月11日
 死者ついに452人 三池鉱救出作業ほぼ終わる。
 これは687人の死者を出した大正3年の方城鉱(福岡県)のガス爆発につぐ日本炭鉱史上2番目の炭鉱事故となる。

 炭住街に葬送の灯 三井三池。弔電相次ぐ。
 英国エリザベス女王とヒューム首相、ベルギー国王ご夫妻、イラン国王、
ソ連の炭鉱労組、日本向け北京放送、ケネディ米大統領、レオーネ伊首相、
リュブケ独連邦共和国大統領から見舞金。英国の炭鉱町から大牟田市に弔電。
 「1913年に死者429人という英史上最大の炭鉱事故を起こしたウェール州カーフィリー町のワトキンス町長は、大牟田市に弔電を送った」

昭和38年11月14日
 国際自由労連から救援金35万円

 炭車の火花で爆発か 福岡県警 車輪などを押収 労組からも調査団

 医師数人を現地へ。厚生省は三井三池の炭鉱爆発事故による負傷者の中に、一酸化炭素中毒で呼吸困難や意識不明となって いる患者がかなりいるので地元の対策本部からの要請により、九州地区の国立病院から血液、精神科関係の医師数人を現地に 派遣することに決めた。

昭和38年11月15日
 新労が就労すればスト実施 三池労組。三井三池鉱業所は生産再開のメドを16日に置いているが、三池労組は会社 に団交を開くよう要求するとともに、三池新労組に共闘を申し入れた。

昭和38年11月16日
 三池三川鉱事故 爆死20、ガス中毒死430、百数十人が記憶喪失

昭和38年11月17日
 炭じん掃除を怠る 鉱山保安局長が指摘。炭じんを飛散させないための散水用シャワーは切り羽の炭車受口と、石炭をベルト コンベヤーに移す第一斜坑底に設備してある。しかし、斜坑面のものは現場を見たところさびていて使用していないことがわかった。

昭和38年11月18日
 三池三川鉱事故 数日後に中毒症状 一酸化炭素ガス 新たな問題に。治療当時は全く症状がなく元気だった人たちの中に、 数日経ってから症状が出たり、一度退院したのち再発入院する人が目立ちガス中毒に新たな問題を投げかけている。

 三井三池鉱業所は19日から三池三川鉱爆発事故による従業員の死者424人の家族に対して退職金を支払う。会社側の発表に よると総額は約5億円、一人平均110万円となる。

昭和38年11月19日
 三川鉱事故による中毒患者160余人を収容している大牟田市の三井鉱山天領病院は、4人の患者を「中毒性精神病」と認め、 久留米大学付属病院精神科病棟に移し保護室で治療を続けることになった。今度の事故で精神病院に収容されたのは初めて。

昭和38年11月20日
 悲しみの"たいまつデモ" 大牟田 三池の霊をとむらって
 三池三川鉱の爆発事故で死んだ450人の霊をとむらう"たいまつデモ"が19日夕、大牟田市で行われた。三池労組をはじめ、 その家族など約1万数千人が笹林公園に集まり、午後6時一斉にたいまつに点火した。公園は一面火の海。やがて火の波が同 公園から大牟田市の目抜き通りに流れ、夜遅くまで空を焦がした。低い歌声が流れるだけで静かな行進だった。

昭和38年11月23日
 組合送葬に1万余人

 ケネディ大統領撃たれ死亡

昭和38年11月24日
 三池 爆発事故の会社葬 大牟田市体育館 仏式でしめやかに

昭和38年11月29日
 "補償" 団交進まず 三池労組と会社側。労組側は、
  1 未亡人の就職対策の具体化 2 死者一人当たりの弔慰金100万円
というこれまでの要求を繰り返し、会社側は現在検討中として回答を避けた。

昭和38年12月10日
 炭鉱、今度は人手不足 追い打ちかけた三池三川鉱事故
 石炭斜陽ムードが染み渡っていたところに三井三池の大爆発。ボロボロやめる鉱員の引き留めに各炭鉱は手を焼いている。 今、2、3千人足りないという九州の炭鉱の鉱員不足はこれからますます深刻になりそうだ。中でも斜陽ムードがただよう 筑豊の炭田では特に激しい。だから各炭鉱の人集めは真剣だ。ヤマの未経験者がさっぱり応募しないのも悩みのタネ。半年 前まで流行した「希望退職」はもうすっかり姿を消した。人員過剰気味のヤマでも「希望退職などを募ったらみんなやめて しまう。山野がいい例だ」となるべく減らさない心構えだ。いま、大手の社内報はこぞって「国際石炭大会」の「石炭は斜 陽でない」という英国のシューマッハー氏の講演を大きく取り上げている。貝島の社内報には「石油の寿命はあと3、40年」 と、石炭の寿命が長いことを力説している。「 "石炭はもう終わりです。皆さん、よい職を早く見つけて下さい"と呼 びかけた舌の根が乾かぬ内に180度の転換ぶりで、多少気が引けます」ー山野の広報関係者の声だ。

昭和38年12月3日
 死者458人に 三池三川鉱事故

昭和38年12月5日
 恐ろしい一酸化炭素中毒 後遺症が最大の問題 厚生省 調査団を三川鉱へ。
 後遺症患者には半身不随、けいれん、精神不安定、ヒステリー症のほか、いつ回復するかわからない記憶喪失者もいる。 三川鉱事故での入院患者はすでに何らかのこうした後遺症を持っている。

昭和38年12月8日
 三川鉱の事故被害者で、入院患者284人のうち、意識不明の状態を続けている者4人、意識はあっても精神障害を起こして いる者が180人程いる。この内、痴呆状態にある者約50人、物忘れしやすい者が約130人となっている。

昭和38年12月14日
 石炭業界 安定産業へ自信。三井三池鉱の災害をきっかけとして、石炭業界には一時かなり悲観的な空気が濃くなっていたが、 このところ採炭の機械化など一連の合理化の効果で生産性が目に見えて高まり、業界では「石炭も安定産業として立派にやって いける」との自信を強めている。閉山などの合理化計画に伴う大規模な退職は一段落しており、業界では「これからぼつぼつ新 規募集を再開するが、縁故者に限らず一般の人たちにとっても炭鉱の給与水準は魅力のあるものだ。必要な人手は確保できる」 との見方が増えている。

 ガス爆発で10人死ぬ 上尊鉱業ホシイ炭鉱(福岡県)。泣き崩れる家族 炭じんでまっ黒の遺体。

昭和38年12月22日
 遺族に弔慰金50万円。三井鉱山 宮浦、四山の両鉱、24日に再開。募金1700万円に。

昭和38年12月27日
 三井三池鉱災害 医療調査団が報告 「後遺症に長期治療を」

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