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赤紙ーみいけの年表
平成10年4月4日
閉山1年 大牟田1427人減 荒尾13年ぶり62人増 社宅跡地開発で明暗
三池炭鉱閉山後、大牟田市が社宅の取り壊しに追われ、荒尾市では社宅跡地の宅地開発が先行したのが最大の要因と
見られ、住宅事情の差が明暗を分けた。
1日現在の大牟田市人口は14万4千62人。1959年の約21万人をピークに毎年人口が減り続けていた。一方、荒尾市は1日
現在5万7千680人で、前年同期を62人上回った。人口が増加したのは85年以来。荒尾市緑が丘の炭鉱社宅が閉山の2年前
に取り壊され、跡地を市土地開発公社が取得。緑が丘ニューアルタウンとして一戸建て住宅368区画を開発。すでに206
区画が売れ、うち約90区画は市外からの購入者。 (讀賣新聞より)
平成11年1月26日
1997年3月に閉山した福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で働き、じん肺になった元労働者と遺族が三井鉱山など三社に
損害賠償を求めた「三池じん肺訴訟」の原告弁護団は25日、新たに元労働者18人と遺族4人が約6億5千万円の賠償を求
めて29日に福岡地裁に提訴することを明らかにした。三井系企業を相手としたじん肺訴訟では、三池訴訟のほか筑豊、
北海道の各訴訟で昨年秋から和解協議が行われてきたが、三井側は和解を拒否している。(京都新聞より)
平成11年5月22日
三井三池鉱跡など8箇所を史跡指定 文化財保護審議会答申
文化財保護審議会は21日、平成9年に閉山となった三井三池炭鉱跡のうち、明治以来の近代産業史理解に不可欠な遺構
を保存している宮原坑(福岡県)および万田坑跡(熊本県)など全国の8箇所を史跡に指定するよう有馬文相に答申した。
炭鉱の史跡指定は初めて。これで史跡は1429件となる。
宮原坑と万田坑は明治30年代に開かれた炭鉱で、当時をしのばせる縦坑や櫓が良好な状態で残っている。今回の指定は
地域全体であるが、現在は三井石炭鉱業が所有している。昭和34年から35年にかけて合理化をめぐり戦後最大の大争議が
行われ、その主舞台となった三川坑は、昭和14年に開かれ戦後に発展した新しい炭鉱のため、指定対象からはずされた。
元炭鉱マンら心境複雑
平成9年3月の閉山から2年が過ぎたが、解雇された炭鉱マン約1500人の約4割は現在も職を失ったまま。かつては日本の
復興を支え、労働争議の舞台にもなった「戦後の風景」が史跡に変わろうとするなか、人々は新たな新路を探り続けて
いる。一方、炭鉱の城下町として栄えた福岡県大牟田市も、炭鉱の合理化とともに人口が減り、今年3月では14万3千人。
閉山から2年で2400人減った。
「ヤマ」がたどった数々の歴史に一つの幕を下ろすような今回の史跡指定。戦後間もないころから信号士として勤務し
ていた元炭鉱マン(81)は「とてもひとことでは表現出来ない。いろいろありましたから・・・」とつぶやいた。(産経新聞記事より)
平成11年5月29日
消える三池争議のシンボル 旧三川鉱 ホッパー解体へ
大牟田市の旧三池炭鉱三川鉱のホッパー解体作業が6月上旬に始まる。戦後最大の労使紛争・三池争議(1959ー1960)の
象徴になった施設であり、一時は組合員が占拠した。
ホッパーは採掘された石炭を粉炭や塊炭などに選別し、一時的にためる施設。鉄筋コンクリート製(高さ約30m)で、
三川鉱が出炭を開始した1940年10月以降使用されていた。(讀賣新聞より)
平成11年6月24日
"ヤマ男の気概だ 灯は守る" 存続へ決意新たー池島鉱入坑ルポ
「ヤマ男の気概を次世代へ伝えたい」ー。国内石炭鉱業の在り方を決める石炭鉱業審議会の議論が大詰めを迎える中、
国内に残る2炭鉱(北海道・太平洋炭鉱、長崎・池島炭鉱)が当面、存続する見通しとなった。そのうちの一つで「労使
一体で生き残り」を掲げて採炭作業を続ける西彼外海町の池島炭鉱の坑内を23日訪ねた。
「ご安全に」という炭鉱独特のあいさつを受けて、エレベーターに乗り込む。2分足らずで海面下約650メートルの坑道
へ。高速人車、マンベルトなどを乗り継ぎ、最後は徒歩で約20分。約1時間かけて池島の南西8キロ、海面下約500メートル
の採炭切り羽に到着した。切り羽では、炭層壁を巨大なドラムカッターがうなりをあげて削り取っていた。地上からの集
中監視システムをはじめ、ドラムカッターなどすべての作業がオートメーション化された。昔ながらの暗く厳しい炭鉱の
イメージ「ツルハシとほげ」は全くない。世界最高水準の採炭現場は、長期存続へ向けて、その存在をアピールしていた。
従業員の給与カットなど大幅なコスト削減策に取り組みながら存続を訴える池島炭鉱。坑内で生き続ける世界最先端の保
安・生産技術は、海外炭鉱への技術支援の拠点でもある。
同鉱がこれまで採掘した石炭は約4000万トン。採炭切り羽の先には、まだ約17億トンの黒いダイヤが眠っている。ヤマ
の男たちは「日本の炭鉱の灯を守り続けることがわれわれの使命」と心に決めている。(西日本新聞より)
平成11年11月29日
熊本県 炭都からの脱出 歴史の呪縛逃れ 新たな街へ
熊本県荒尾市と福岡県大牟田市にまたがる国内最大の炭鉱だった三井三池炭鉱は平成9年3月、1世紀以上に及ぶ歴史の
幕を閉じた。
囚人や朝鮮人・中国人強制労働、三池大争議、戦後最大の炭じん爆発事故・・。三井の企業城下町として黒ダイヤとも
呼ばれた石炭で栄えたこの両市は今、それぞれ新たな街づくりに乗り出している。
荒尾市の緑ケ丘地区にある遊園地・三井グリーンランドやウルトラマンランド、さらに周辺には大型商業モール、新興
住宅地などが集積。九州でも有数の観光商業タウンに成長した。
しかし同地区はかつて木造平屋がびっしりと並ぶ炭鉱住宅街だった。この緑ケ丘社宅の住人だった江頭さん(77)は、
「昭和30年頃は1500世帯ぐらいあったかな。34年からの三池争議で労働組合が分裂してからは、同じ社宅の中でも住民同
士がが反目しあったよ。また、38年の炭鉱爆発事故では隣同士で葬式を出すほど多くの住民が巻き込まれた」と語る。
教科書には載らない炭鉱労働者の生活史を刻み込んだ炭住街。そして最後には、男性でも一人では足を踏み入れるのが
怖いほど荒れ果てていた。
両市の炭都からの脱皮は順風満帆な船出ではなかった。荒尾市は平成5年、第3セクター方式でレジャー施設「アジア
パーク」を緑ケ丘に開園したが、経営は2年目から悪化。負債の肩代わり問題は今も解決していない。"燃える石"に1世紀
以上も依存した街。石炭の道のりは緒についたばかりだ。(京都新聞より)
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