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赤紙ーみいけの年表
昭和62年1月14日
三井砂川鉱 6月に閉山。砂川鉱は、
1 昨年1月にガス突出事故が起き残炭量が減っている
2 採算悪化による赤字の増大
3 北海道電力による国内炭引取量の削減など
の面から、同鉱に見切りをつけることになった。
第8次石炭政策下の閉山第1号となる三井砂川鉱は、通産・エネルギー庁が描く「なだらか閉山」のスケジュールで、
ある程度想定されていた。三井グループ、通産・エネ庁とも「第8次政策下の閉山モデルケース」として、閉山対策に
力を入れる方針。しかし、円高が国内炭と輸入炭との内外炭格差を一段と広げる恐れがあり、閉山が相次ぐ恐れが出ている。
昭和62年1月16日
閉山の三菱高島鉱労組書記長が自殺 離職者対策などで心労?
Y書記長(48)は昨年10月から病気の組合長に代わって、閉山交渉の先頭に立ち、最近は離職者対策に取り組んでいた
が、1週間前から行方がわからなくなっていた。家族や労組側に宛てた5通の遺書が残され、その中で「書記長を辞職する」
と書かれてあった。石炭業界で、組合幹部の自殺者は初めて。Y書記長は親子3代の炭鉱マンだった。
高島鉱労組事務所には、ニュースで書記長の自殺を知った組合員らが駆けつけ、「ほんとうなのか」「つらかったんだ
なあ」「閉山と再就職問題の重圧に押しつぶされてしまったんだ」と放心したようにつぶやいていた。書記長は閉山後も
「全労働組合員の完全再就職を実現しなければならない。これからが本当の闘い」として奔走していた。しかし一方で鉱員
の再就職などは遅々として進まず、解雇された本鉱員866人中わずか40人が確定したに過ぎなかった。組織厚生部長は、
「とにかく几帳面な人だった。年末から口数が少なく、おかしいとは思っていたが、悩みをうち明けるような人ではなかっ
たので・・・」。事務所長は、「再就職あっせんと企業誘致に問題が残っているが、いまの状況ではすべて解決するはずが
ない。それはお互いにわきまえ努力しようという話になっていた。会社側との交渉もうまく行き、書記長の役割は大きかっ
た」と話す。
炭鉱の町、福岡県大牟田市にある三池労組に14日、高島労組から「うちの書記長が来ていないか」と問い合わせがあった。
変だなあとは思っていたという労組員。7,8年前からの付き合いという中原組合長は、「会社はなぜここまで追い込んだ
のかと言いたいが、閉山は石炭政策によるものだという点では政策の犠牲者。高島だけの問題ではない」と沈痛な表情。
「えっ、まさか。だって9日夜に札幌で会ったばかりなんだ・・・」と、三菱南大夕張鉱業所の書記長ら。「疲れたから
息抜きに来た、とは言っていたが、今から考えると覚悟していたのかもしれないなあ」と話していた。
昭和62年2月1日
三井三池 四山鉱を閉鎖へ 5年間かけて1000人を合理化
三池鉱業所には現在、四山、三川、有明の3鉱があり、切り羽は各3ヶ所ずつの計9ヶ所。従業員は職員736人、一般職員
3500人、下請け1539人の合計5775人。61年の年間出炭量は約450万トンで国内最大規模。
昭和62年3月31日
国鉄きょう限り あす分割民営化 「汽笛一声から114年余」
昭和62年4月29日
苦難続く国内主要炭鉱 生き残りへの必死の合理化 減産強化や人減らし計画
国内炭の引取量を大幅に減らす第8次石炭政策が今年度からスタートしたのに対応して、国内の主要10炭鉱が懸命の
合理化策に取り組んでいる。各社とも当面の生き残りを図る方針だが、第8次策の最終年度の66年度に鉄鋼用など原料
炭の引き取りゼロ、一般炭の大幅減が決まっている。このため、今回の合理化策はこれで終わりではなく、一層の合理
化努力が必要か、それとも閉山かを選択するための苦難の試金石になりそうだ。
(生産縮小)
三菱石炭鉱業の合理化策は、南大夕張鉱の生産規模を110万トンから80万トンに減らすことを求めている。大口需要家
の鉄鋼は、円高の一層の進展に伴って、引取量の急速な削減を求めており、「いつまで採炭を続けられるかむずかしい」
(三菱石炭鉱業首脳の話)状況だ。三井石炭鉱業も、北海道の砂川鉱を6月メドに閉山するほか、国内最大の三池鉱業所
の生産規模を60万トン減らす。
(賃金カット)
住友石炭赤平炭鉱は1297人の従業員を486人に減らす計画を労組に提示している。賃金の15%カット、賞与の40%削減
も盛り込んだ厳しいものである。
(多角経営)
三井砂川では、離職者の再雇用を目指し、梅やシイタケ栽培による食品加工、工業用ダイヤモンドの工業誘致を勧める
考え。住友赤平も、バラなどの花栽培、スーパーマーケット経営などの子会社の売上げを2倍にしていく方針。しかし、
雇用吸収力は数百人に過ぎない。
昭和62年7月13日
三池CO中毒訴訟の和解勧告 原告団も受け入れ 14年ぶり決着 死者400万円
死者458人、一酸化炭素中毒患者839人を出した38年11月の三井三池鉱業所(福岡県大牟田市)三川鉱炭じん爆発事故を
めぐる「三池CO中毒訴訟」の原告団(小川団長390人)は、12日臨時総会を開き、福岡地裁の和解勧告を受け入れることを
満場一致で決めた。被告の三井鉱山側もすでに受諾の方針を明らかにしている。和解協議は20日に同地裁で行われ、マン
モス訴訟は提訴以来14年ぶりに全面解決する。
三川鉱炭じん爆発は、三井鉱山による約1300人の指名解雇通告をきっかけに起きた三池大争議が終結して3年後の38年
11月9日に発生した、戦後最大の炭鉱事故。三池争議を指導した組合幹部らが、遺族やCO中毒患者の生活救済を労使交渉の
場で切り開くことに重点を置き、援護措置のCO協定を結んだ。提訴は災害から9年半後の48年5月11日。また、福岡地裁の
勧告を受けて60年11月から和解協議が始まったが、石炭をめぐる環境悪化も重なり、会社側との自主交渉は決裂した。
この事故をめぐっては、和解協議に応じた原告団のほかに、「会社の事故責任を明確にさせたい」として、和解派と分
かれて訴訟を継続している新原告団(32人)と、和解派より一足先に提訴した大牟田市の松尾さんら4家族の損害賠償請求
裁判が係争中だ。
会社側は、和解派分の他、三池炭鉱新労組、三池職員労組の患者分を合わせれば、約26億円の支払いを迫られる。
昭和62年7月31日
三井鉱山労使が人員合理化合意 来年度末までに300人減
主力の石炭の需要が減るなど業績が低迷している三井鉱山は30日、三井鉱山社員労働組合連合との間で、合理化について
基本的に合意した。
昭和62年8月26日
閉山「疲れた」 北炭真谷地退職者の会 事務局長が自殺
閉山問題で揺れる北海道夕張市の北炭真谷地炭鉱の退職者でつくる真谷地炭鉱退職者の会の事務局長(57)が26日朝、
自宅で首つり自殺しているのが見つかった。同鉱の閉山に関しては退職金などの未払いが最大の障害になっているが、
「退職者の会」は会社側に完済を求めて今月8日に組織を結成したばかり。
事務局長は労組とともに東京で行われた中央交渉にも参加、同会の中心的存在だった。家族や労組宛ての遺書4通が残
されており、その中には「疲れた」などと書かれてあった。事務局長は昨年2月に定年。事務局長自身も1千万円前後の
未払いの退職金があった。
昭和62年10月6日
北炭真谷地炭鉱 閉山に労使調印 9日全員解雇
真谷地炭鉱の労職組から交渉権を一任されていた炭労が「不満はいっぱいあるが新旧退職金の完済を約束させた。会社が
支払えない労務債の一部は、炭労が肩代わりしてでも払うことにした」と苦渋の決断をし、会社側の閉山提案を受け入れた。
9日付けで鉱員ら1005人を全員解雇して閉山する。第8次石炭政策下での閉山第2号であり、82年の歴史を閉じる。
昭和63年1月15日
三菱南大夕張鉱 路盤盛り上がり13人死傷 坑道の拡幅作業中
昭和63年1月16日
大韓機墜落事件 金賢姫 爆破認める 金正日が指令
昭和63年1月17日
北朝鮮「ら致女性」 10年前消えたカップル3組 金賢姫供述
昭和63年3月14日
青函トンネル開通 連絡船80年の歴史に幕
本州と北海道を結ぶ世界最長の青函トンネル(53.85キロ)が13日開通し、同日朝、本州、北海道からの一番列車が
トンネルをくぐり抜けた。明治41年来、「津軽海峡の動脈」の役割を果たしてきた連絡船は、13日限りで80年の歴史の
幕を閉じた。
昭和63年4月11日
本州ー四国を結ぶ瀬戸大橋が開通。着工から9年6ヶ月、1兆1300億円の巨費を投じて完成した世界
最長の道路・鉄道併用橋、瀬戸大橋(児島ー坂出ルート)が10日、開通した。
昭和64年1月7日
天皇陛下 崩御 87歳 歴代最長の在位 「平成」あすから 激動の昭和終わる
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