水俣をさるく 1  熊本県水俣市 (2011年9月23日撮影)


ミナマタの空はあおい
ミナマタの海は さらにあおい

水俣のそらは 水俣のうみを反映し
水俣のうみは 水俣の空を反映して
互いが言魂(こだま)し合っているよう

有機水銀を埋立てた水俣湾親水護岸に立つ幾体の野仏様
それは不知火海に向かって立っておらっしゃる
かなしい顔をして立っておらっしゃる
昔、この地に悲しい出来事があったことを語っておらっしゃる

ミナマタの空はあおい
ミナマタの海は さらにあおい

水俣のそらは 野仏様のタマシイを反映し
水俣のうみは 野仏様のタマシイを反映して
互いが言魂し合っておらっしゃる

(2011年9月23日、水俣湾親水護岸にて、筆者)

肥薩おれんじ鉄道 水俣駅

水俣駅前に所在するチッソ叶俣工場(写真正面奥)

 同会社は、水俣病の原因となった有機水銀を「海は広い。したがって毒は薄まる」として長年に亘って、不知火海へ流し続けた。  その歴史はすでに過去のものであろうか。いや違う。現在では場所が変わって、福島原発が放射能を含んだ原子炉内の水を海へ流した。このときも会社および 一部の学者は、「海は広い。したがって放射能は薄まる」と弁明したのである。

  

(写真下は説明板から接写した「百間排水口から見た水俣湾」。写真上は、その現在の様子)

 「百間排水口は、水俣病原点の地です。
 この排水口を通じて、1932(昭和7)年から1968(昭和43)年まで、チッソ叶俣工場において酢酸等の原料となるアセトアルデヒドの製造工程で副生された メチル水銀化合物が工場排水とともに排出され(一時期、水俣川河口へ排出)、水俣湾は汚染されました。そのため、八代海(不知火海)一円に水俣病が発生し ました。百間排水口付近に堆積した水銀を含む汚泥の厚さは4mに達するところもありました。
 1977(昭和52)年、熊本県は汚泥を除去する公害防止事業に着手し、約14年の歳月と総事業費約485億円の巨費をかけて、水俣湾に堆積した水銀ヘドロの埋め立 てを行い、1990(平成2)年、同事業は終了しました。
 水俣湾内の魚介類等の安全性を確認するための調査は現在も継続実施されています。一度汚染・破壊された環境は、いかに莫大な費用と労力をかけても元に戻す ことはできません。このことを私たちは人類の教訓として受け止めていかなくてはなりません」
(百間排水口に立つ説明文より)

水俣病巡礼八十八ヶ所一番札所(百間排水口前)

 「水俣の88箇所にお地蔵さんを建てたい」という川本輝夫さんの願いを受けて建てられた「百間排水口」前のお地蔵様。新潟水俣 病の被害を受けた阿賀野川で採れた石が使われている。
 左石碑には、「阿賀の岸から不知火のお地蔵様 水俣病事件犠牲者へ捧ぐ 鎮魂之聖地 遺恨浄土之地 慟哭永遠之地 平成6年12月吉日 水俣病患者連盟委員 長 川本輝夫」と記されてある。
 川本輝夫さんは元水俣市市議会議員。24歳の1955(昭和30)年より水俣病を発症し、68歳の1999(平成11)年2月18日に逝去された。父親もまた1961(昭和36) 年に発病して寝たきりとなり、1965(昭和40)年4月、もだえ苦しんで亡くなっている。市議会議員を無所属で三期勤めた最後の市議会では、「水俣湾を世界遺産 に」と提案した。

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