![]() 野田町の武家屋敷通り
マツカメさんの最期は独り暮しにおける病死であったわけであるが、そのワラ小屋から徒歩10分程の所に武家屋敷通り
があって、その一角にマツカメさんの兄の家(おばさんの父親)が空き家となりながらも残っていた。武家屋敷とワラ小屋、その落差を思ったとき、
言い知れぬ気持ちが湧いてきた。マツカメさんの亡骸はその兄の家に引き取られ、同人が葬儀を取り仕切った。
八幡霊廟
マツカメさんの墓石は、兄の家の近くの墓地に建立されたが、当時はまだ土葬であったため、それら古い墓石群は整理
され、代わりに「八幡霊廟」という納骨堂が建てられた。同納骨堂には155体が安置されている。入口には八幡霊廟配置一覧があり、そこで私は自分の
母の名を見つけることになる。こんな所で母の名に逢えるとは思ってもみなかっただけに、その感動はひとしおだった。母にとってマツカメさんは姑。
亡き父に代わって昔ここに来たのだ。母がどこか近くにいるような気がした。そう思うとだんだん心が熱くなっていった。
納骨壇
祖母・マツカメの納骨壇(左)とその兄の納骨壇が仲良く並んで安置されていた。その両家の納骨壇にはまだ新しそうな
花が活けられてあった。「出水は墓に花をからさない所」だという。おばさんがお世話してくれているのである。遺骨はそれぞれの壇の下のロッカーに
納められてある。納骨壇の過去帳を見開いてみた。祖母の名のみが記名されていた。祖父の名は無かった。普通、二人は夫婦であるのだから、お墓にし
ても一つであるはずなのだが、祖父の名も遺骨も無かった。その理由を聞いてみても、おばさんは「知らない」とだけ言った。色々あったようである。
祖母の遺骨
右写真は、おばさんからもらった、たった一枚の写真。在りし日のマツカメさんである。今回鹿児島へ行って、初めて見た
祖母の姿。そして、左遺骨が、現在のマツカメさんの姿。骨を見て、我慢していた涙が込み上げてきた。「マツカメさんの孫が来てくれたのはあなたが初
めて。こうして遠く滋賀から来てくれたのだもの。マツカメさんは喜んでいると思うよ」。おばさんがそう言ってくれた。「朝(あした)には紅顔ありて
夕べには白骨となれる身なり」。浄土真宗本願寺派聖典にある御文章(お手紙)の中の白骨章にある経文が浮かぶ。墓地には真っ赤な彼岸花が咲き並
んでいた。別名「相思花」とも言い、「また会う日を楽しみに」という花言葉があるという。「またここへ戻ってきたい」と思った。
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