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囚人墓と言われている「倶會一処」墓がある権現山の東側麓に金泉寺駛馬(はやめ)説教所跡が
ある。青葉町方面から米生中学校に向かう通学路の途中であり、説教所跡の裏側には大牟田米生郵政宿舎が建つ。
三池郡史によれば、金泉寺駛馬説教所について、「大字西米生字権現堂に在り。本村は三井鉱山株式会社の経営せる各炭坑の
所在地で、諸国より移民日に増加し祖先伝来の宗風を遵奉(じゅんぽう)する者尠い(すくない)。特に三池監獄の免囚等壇信徒と
謀り(はかり)、悔悟の念より大願を発起し努力の労銀を喜捨し、建物を設け・・・」と記述され、「大正10年8月30日設立」
「住職 遠山良寿」とある。 また、この権現山のどこかには坑内馬も埋葬されているという。
![]() 地蔵菩薩と閻魔大王像(右)
左端、僧衣をまとった佐伯辰五郎の座像 (2005年8月高田さん撮影)
地蔵菩薩台石の裏側に記されている菩薩銘 (2005年8月高田さん撮影)
菩薩銘
「當村に権現堂及び付近に墓地有り 各地より遷り(うつり)住みて
このことは、これら文面から、権現山一帯には無縁の墓が多数散在し、それらの中には、三池集治監から生きて出獄したものの、
ふるさとへ帰る術もなく、この地に留まり亡くなっていった人たちの墓もあったであろうことがうかがえられる。
(2006年8月17日撮影)
地蔵菩薩の後ろにぽつんと立つ石碑。何の石碑か。世話人の筆頭に「佐伯辰五郎」の名がある。
佐伯辰五郎とはどういう人物だったのか。
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