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宮ノ原坑前の通りから狭い坂道を上がる。このまま進むと民家の庭先に入ってしまうのでは
ないかと不安になるが、そのすぐ手前から道はカーブし、間もなく、権現山の頂上に建つ福寿院にたどりつく。
「囚人墓」と呼ばれている「倶會一処」の墓碑は、この福寿院から北へ少し下った竹藪の中にある。「大正10年3月31日
三井三池鉱業所」と刻まれている。裏側には倒れている墓石もいくつかあって、昼間も薄暗く、人が墓参りに来ている様子
もない。 そして、この「倶會一処」の墓碑の裏側に倒れ、無縁墓地となっているいくつかの墓石こそ、元囚人たちの墓ではなかろ うかと思えてくるのである。 帰り道、宮ノ原坑のヤグラが目の前にひろがる。その昔、三池集治監から鎖でつながれた囚人坑夫たちが通った宮ノ原坑。 いつの頃から誰が言い出したのか、それは修羅坑(シラコ)と呼ばれた・・・。
![]() 囚人墓 (2001年3月撮影) |