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マサチューセッツ工科大学で鉱山学を修得した團琢磨は、官営三池炭鉱を経て、明治22年、
三井三池炭鉱社の事務長として迎えられ、「港を築けば石炭が無くなっても他所から持ってこられる。産業も起こせるし、
街も都市のまま維持できる」として、明治41年、5年の歳月と現在の金額で約400億円の工費をかけて、1万トンクラスの船
が停泊できる三池港を開港した。 遠浅で干満差が5.5メートルもある有明海の干満差を克服するために約2キロに及ぶ水路を築き、内港とドックの境目に 閘門を築造した。その世界でも珍しい、潮の干満に応じて開閉する閘門には、グリーンハートと呼ばれる南米産の非常に 硬い木材を使用した。 そうして、約495ヘクタールの内港と約132ヘクタールのドッグ、さらに約1023ヘクタールの貯炭場を周辺に設け、日本 初の石炭化学コンビナートを生み出し、大牟田は一大産業都市へと変貌していった。 しかし今、国策等によりヤマは閉じられ、大牟田は迷えるただの都市となった。何がそうさせたのか。 (JR九州情報誌プリーズ参照)
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後方、九州電力轄`火力発電所。三井三池炭鉱とともに成長してきた発電所で、石炭を使用
していたが、無公害化のために重油へ切り替えられ、昭和52年には石炭は全く使用されなくなった。なお、2004年には同
発電所の運転も休止されるという。
開いている状態の閘門
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