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故郷に寄せる熱きメッセージ その1 |
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●はじめに
「炭鉱社宅がのうなってスッキリした」ち思とる人もおらっしゃるごたる。 |
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●私にとって、今も両親や友人などが住んでいるあの町は、いまも現在進行形なのです。 |
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●私の父は三井三池炭鉱の四ツ山坑にかつて勤めておりました。 |
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●荒尾にいた当時の奥底に眠っている記憶の糸を探っていた一日のような気がします。 |
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●私は、18歳で東京に出て、東京大学、同大学院で11年間教育学を学び、今春から東京
経済大学にて専任講師として勤めております。 |
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●荒尾のそれも緑ヶ丘の写真なつかしく拝見しました。 |
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●この三池炭坑の出来事を知っている現在の若者は少ないと思います。 |
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●さっそく新しくなったホームページ見ました。感激しております。 |
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●この歳になって住みはじめた村は雰囲気は九州のそれと似通っていても、心の第二の故 郷になるのは困難なようです。そんな中、久しぶりに愛知県の父から電話がありました。三池闘争時代のいろんな出来事や、つらか ったこと、悲しかったこと、めずらしくたくさんの思いを語ってくれました。それは、父が受話器の向こうで涙ぐんでいるのがわか りました。父は、私ら子供たちには思いも及ばないつらい多くの体験をしていたのですね。それは、前川さんのお父さんも同じこと だったのではないでしょうか。昔、私の家族が炭鉱を離れ、愛知県に引っ越してきて、就職先を父が探すときには三池労組の第一組 合員であったということは隠さなければならなかったそうです。もしそういうことが会社に分かるとそのことだけで採用にはならな かったと、そんなことも話してくれました。前川さんのお父さんが炭鉱に勤めていたことを言わないようにされていたことは、そう いう理由もあったのではないでしょうか。父が、三池闘争時代に生きたおまえたちもまたその影響を受けていて、お前の性格までも がそうなったと言いました。私自身はそんなこと思ってもみなかったのですが、そう言われてみると、否定することもまた出来ませ んでした。そう言われればそうかもしれないなあと思ったりもするのです。不思議なものですね。(埼玉県 男性) |
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● 同じ時、同じ空間を共有された方たちにはとても懐かしくそして寂しく・・・。私たち には貴重な記録として今後も大切なライブラリーとして掲載を続けて頂きたいとつくづく思いました。(大阪府) |
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●前川さんの思いがページから強烈に伝わってきます。前川さんをはじめ、荒尾や大牟田出 身の方々にとっては、それらの景色ひとつひとつが遠く離れた故郷の情景であり心の拠り所なんでしょうね。私はこの土地の生まれ ではないので、ある意味では傍観者の要素を多分に持っていますが、ふるさとを遠く離れた方々の熱い思いには圧倒されっぱなしです。 私の田舎は筑後川と耳納連山にはさまれた植木と柿の産地です。車で1時間もかからないところですが、それでも、やはり子供のころ に見た景色を自分の子供に見せたくて盆と正月には小学校の裏山に連れて行きます。年とともに古里が懐かしく思えるようになるもの でしょうか。(福岡県 男性) |
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●私の父も以前炭鉱夫でした。北海道の夕張炭鉱のなかの小さな炭鉱です。 |
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●ずっと以前、何かの写真で、ボタ山のてっぺんから遠くを見つめている少年の姿を見た
ことがあります。母親の帰りを待っているのだろうか?炭坑を出て大都会の生活を夢見ているのだろうか?いろんな事を想像しまし
た。でも、少年の視線が水平線よりやや上を見ていたことから、何か希望を感じさせる風景でした。 |
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●きょう、私の生まれ故郷の荒尾を思い出し思わずinternetで検索いたしました。
貴殿の貴重な写真等を拝見し懐かしく、望郷の念にかられました。私も、緑ヶ丘小学校の卒業生の一人で、地元高校卒業、東京
の大学卒業と共に東京生活20年経ってしまいました・・・。でも、今でも荒尾のことが忘れられず日々帰りたい気持ちでいっぱ
いです。今日は、懐かしい写真等拝見出来ありがとうございました。 |
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●人が生きてきた場所。それが無くなってしまうということは、そこに生きてきた人々の 歴史も無くなってしまうようで、とても寂しい事です。応援してますので頑張って下さい。(1998.3.12 愛知県 女性) |
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●故郷にいた時間よりもこちらへ来てからの方がずっと長いはずのあなたや私にとって、それでも故
郷は一生忘れることは無いでしょう。それは、鮭が故郷の川に帰ってくるように、ツバメがまた同じ巣に明くる年も帰ってくるよう
に、幼い頃の記憶が脳味噌の一番大切な部分にインプットされているからなのでしょう。お袋の味も同じだと思います。女房といた
時間の方がお袋といた時間よりもずっと長いのに、それでも今でもお袋の味は世界一です! |
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●三池炭鉱施設の重要文化財指定、とてもうれしいニュースです。故郷のしるし、前川さん のお父さんたちの足跡が捨て去られずに、刻まれること、何よりのよろこびです。(1998.3.25 東京都 男性) |
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●炭鉱住宅の写真、大変懐かしく拝見いたしました。 |
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●九州の炭鉱を検索していてHPにお邪魔しました。 |
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●雑草が生えている社宅の跡地も数年すれば竹が生え、木が延び、かつて、そこで大勢 の人々の営みがあったことなど想像もできない様子になってしまいます。大牟田と荒尾の町は、石炭が発見される前の静かな田舎 にもどるのでしょうか。それがいいのかもしれません。 (1998.7.18 福岡県 男性) |
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●炭鉱の写真をみて、私の父が話していたことをひとつ思い出しました。他の人にもぜ
ひ知っていただきたい話です。 |
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●はじめまして!!ホームページをみて大変感動しました。 |
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●はじめまして、大阪在住の者です。 |
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●はじめまして。 |
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●私は、直方の新入炭坑、水巻の日炭高松、宮田町の貝島炭鉱などを転々として育った。 |
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●私は小学4年に緑ヶ丘小に転入してきました。もちろん中学は第三中です。引っ越した先が、なんと若葉町でした。ホームページ見させて頂きました。 |
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●私は18歳で荒尾を離れ、その18年後に一度だけ新婚旅行をかねて玉名の親戚をたず ね、そのときに荒尾に数時間だけ立ち寄ることができとても懐かしさと寂しさで胸がいっぱいになったことをいまも鮮明に想い出 します。それ以来、ずーと故郷には帰れないのですが、前川さんのHPを何度も見させていただいて荒尾に帰ったことがあるよう な、そんな気がしています。(1999.1.26 埼玉県) |
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●三池、懐かしく見ていました。私も炭坑夫の息子です。その父、5年前この世旅立ち、
母も親父のあとを追うようにしてたびだちました。私いた炭抗は北九州市あった日本炭鉱です。そうして、父も三池争議にもオル
グに参加三川坑業所のまえのピケにいました。家から出ていくとき、無事に帰ってこれんかもしれんばい、といっていきました。
NHKの番組見ていたら、坑業所まえの場面で親父の姿がありました。三池閉山の日大牟田へ行きました。うちの親父きたところ、
初めてきたのに何か懐かしく思いました。感傷に浸るわけではないけれど。なにかつたない文章ですけど、思いつくままに書きま
した。 |
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●三池の記事大変懐かしく,見て懐かしくというよりも,心の支えです。感想よりも, 炭坑があったということです,三池,私のいた炭坑,親父,急死に一生得たという,ことがありました,落盤事故,あったばい。 私の,母の乱れよう,いつも,金のことで喧嘩,三池も日炭も炭坑マンの息子,坊主,今から仕事に行ってくるばい,と行って, 家を出て行った,隣のおじさん。そしてその日,ガス爆発あったとですばい,白木のかんおけ,が社宅の中から,五つ,六つ, も出て,今,前川さんの,HPを見ていたら,むしょうに,若松に帰りたかです。(1999.4.11 宮崎県 男性) |
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●荒尾,大牟田,炭坑,施設ば,取り壊せちな,身勝手なもんたい。全部が全部,やげな,私の里に
はなーにもありまっせん。泣きの涙でふるさと筑豊,でていったのに,5,6前には,わずかばかり,あったのに,うちの叔父,
叔母,いとこが・・・炭坑施設中には,親父.兄弟が,坑内に埋もれたままに,帰還してない人がいるのに,最低限の我々の,生
きていた,証,暮らしていた,ことをイメージ暗い,なんばいいっとか。そのおかげ,で大牟田,荒尾,過去発展したとだろうが,
ご苦労さまと,言って,大事にしてくれてもいいがね。戦後の日本の発展を支えてきた。炭坑いまでん,かえっこいと,言うなら,
帰っていくばい。でも,よう言うたもんたい,ふるさとは,遠くにあり思うもの。怒られっかもしれんばってん、地元の人にはわ
からん,とじゃろかい。とっても,大事な物というこつが。 |
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●私の故郷、山口県宇部市というところです。 |
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●新聞記事をじっくり読ませていて頂きました。とても感激しました。たとえ当時の仲間たちがつ
ぎつぎと散っていっても、記念碑とも言える住宅跡に帰ってくれば、苦労の思い出と隣り合わせに懐かしさを蘇らせる事が出来た
のに・・・・・。でも、その記念碑は前川さんのHPにいつまでも残ります。 |
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●ご自分の故郷を調べ、実際に行き写真を取り、それはそれは大変な努力を要することです。その
テーマが自分自身のことだけではなく、共通のそして過去に日本を支えたエネルギーの源:炭坑の歴史ですから関心を持つ方も多
いことでしょう。私も自分のルーツをそろそろ調べてみたいものだと思っております。私のでどころは四国の西条です。このよう
な気持ちを目覚めさせていただいた前川さんに感謝いたします。 |
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●私も荒尾第2小学校〜大牟田船津中学校〜大牟田南高校を経てきた昭和27年生まれの
オヤジです。父は四山鉱で採炭夫でした。現在私は福岡市で歯科医院を開業しております。私の小学生時代に三池争議があり、子
供同士が各組合に分かれて遊んだ、そんな記憶があります。そんなこんなを思い出されて、このページを見ていくと本当に涙が止
まりません。冒頭に述べてあるように、もう私たちの町は消えてしまったのです。妻を数年前に我が四山社宅に連れていきました
が、やはりあそこに住んだことのない者にとっては、何も思い浮かばないようでした。 |
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●「炭掘る仲間」をこうした形で聴くのは初めてなのですが、とても心にしみいる心持です。当時の
緊迫感の様子をそのリズムの歯切れ良さのなかに秘めながらもゆったりと流れる懐かしいメロディーは聞くものの心にそっとやさ
しく響いてきます。この編曲はこれを創った方の思いやり、優しさと懐かしさがこめられているように聞こえてきます。それはあ
たかもつらい苦しい時代が、終わり、もう苦しむことはない、悩むことはもはやなくなった、みんなごくろうさま!、おつかれさ
ま!と語りかけてくれているように感じます。三池闘争で戦ったみんなに「ありがとう、おつかれさま!」とお礼を言いたい想い
が湧き上がってくるようなとてもすばらしい曲です。先日、久しぶりに愛知の父から電話があり、少し話をすることができ、前川
さんのHPに父の写真が載っていることや、新聞にこのHPの紹介が載ったことなどを話すと、とても喜んでいるようすでした。
私達、三池闘争で戦った親達のその子供達が三池のことに関心をもち、それを次世代に伝えてくれようとしていることが、とても
うれしいらしいのです。きっと前川さんのお父さんがもしまだ生きていらっしゃって、この三池のHPのことを知られたら私の父
とおなじことをおっしゃられたでしょうね。 |
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●はじめまして! 昭和29年生まれで、父は炭坑マン(77歳で健在)でした。中学3年生まれで、勝立の朝日ヶ丘社宅に住んでいました。写真 の中の1枚で、月見が丘共同浴場は、私の家族がいつもお世話になっていた浴場で、とても懐かしい思いで拝見しました。私も、 勝立に住んでいた頃通っていた学校やよく行っていた場所等が今どう変っているか確かめ写真を撮ったり、図書館へ行き当時の資 料などで興味のある事を調べたいと思っています。炭坑関係のホ−ムペ−ジ作りで何かお手伝いできることがあればメ−ルして下 さい。(1999.7.10 大牟田市 Kei) |
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●私は熊本県荒尾市に住む29歳の会社員です。 |