介護日誌

2001年3月4日(日)雨のち雪
 妻の話である。昨日、冠婚葬祭大手の女のセールスが来て「近所から聞いてきましたが、お宅はもうすぐお葬式だ とか。もうどこか決めているのですか」と言ってきたという。

平成12年12月31日(日)曇時々雨
 妻がかけたNHK紅白歌合戦をめずらしくジッと見ていた。わかっているのか。

平成12年9月27日(水)
 9月25日午前1時7分、介護仲間のおばさんが、寝たきりの夫を残し死去。 享年62歳。入院から3ヶ月。胃ガン。介護に明け暮れた毎日だった。

平成12年8月24日(木)晴
 おばさんが入院してもうすぐ丸2ヶ月。大部屋から個室に移った。顔色がます ます悪くなっていく。おいしそうに団子を1個食べた。

平成12年7月29日(土)晴
 黄だんひどく日増しに悪くなっていく。痛くて水も飲めないらしい。

平成12年7月17日(月)晴
 頭やノドが痛い、と言って1週間ぐらい妻が寝込んでいたが、やっと少し元気 になったようだ。病院ではおばさんが「最近ふみちゃん来てくれへんな」と心配 していた。

平成12年7月10日(月)晴
 お茶を飲んでも痛くむかつくらしい。寝ていても辛いらしくエビのようになっ ていた。ずっとご主人を介護してきたおばさんの人生がこういう結果で終わるの か。そう思うと他人事ながら悲しくなってくる。

平成12年7月7日(金)曇
 薬がよく効いているらしく、きょうは痛がっていなかったそうだ。「よくなっ て退院したら、今度は私がふみちゃんのお母さんの面倒を見たるわな。その時は ふみちゃんもゆっくりしいや」と話していたという。

平成12年7月5日(水)晴
 おばさんを病院まで見舞いに行った。「もう我慢出来んわ」と苦しがっていた。 「大丈夫。またすぐよくなるよ」としか、言い様がなかった。。

平成12年7月4日(火)晴
 家内の親戚に、ご主人を10年以上介護してきている奥さんがいるが、介護疲れ からかつい最近入院した。かなり悪いという。

平成12年6月29日(木)曇
 なかなかウンチが出なくて心配していたが、二十日ぶりにやっとウンチが出た。

平成12年6月10日(土)曇
 夜勤明け。夕方5時、誰かが廊下の方でしゃべっている声で目が覚めた。妻が裏 の畑の婆さんと立ち話をしている声だった。「あんたとこはええな。実の娘に看て もろて。私なんか、気を使ってばっかりや」とそのお年寄りが家内に愚痴ってた。

  平成12年5月25日(木)晴
 きょう、妻が生まれて初めて胃カメラというものを飲んだ。苦しくて検査後もし ばらくは待合室で横になっていたという。取りあえずは、胃潰瘍ではないらしい。 でも相変わらず気持ちが悪いと訴える。どこか違う所が悪いのか。2週間後の検査 結果待ちである。

平成12年5月17日(水)曇
 少々のことではめったに病院へは行きたがらない妻が、「気持ちが悪い。ムカム カする。ごはんも食べたくない」と言って、めずらしく町医者へ診てもらいに行っ た。検査した方がいいと言われて、紹介書をもらってきた。

平成12年4月13日(月)曇
 夕方、養母を車椅子に乗せて家内と3人で彦根城へ花見に行く。薄暗い中で淡い ピンクの桜が浮き出て見え最高だった。家内が母親に「どうやきれいか。きれいや ったらきれいとか何とか言い」と言うと、「えへへ」と笑っていた。その夜、母親 が少し熱を出した。久しぶりに外へ出て興奮したのか。

平成12年3月25日(土)雨
 知り合いの人が卒業のお祝いと言って記念品をくれた。それについていた和菓子 を家内が母親に食べさせた。すると、何ヶ月ぶりかに「おいしい」と声を出してく れた、と言って家内も喜んでいた。

平成12年3月24日(金)雨
 長女の大学卒業の日。着物での出席前に、その晴れ姿をおばあさんに見せたとい う。その孫の着物姿を見て、滅多に感情を表さない養母が、顔をくしゃくしゃにし て喜んでくれたそうだ。

平成12年3月11日(土)曇時々雨
 養母の兄夫婦が見舞ってくれた。普段無表情の養母が、そのきょうだいの声を聞 くなり泣き出した。そのおじさんたちも、「おセツ、一生懸命働いてきたのに、一 つもいいことなかったなー」と涙ぐんでいた。

平成12年2月22日(火)雪のち曇
  40日ぶりに養母が退院。妻のまた忙しい一日がはじまった。妻は我が家の看  護婦さん。なんだかんだと言いながらも、むずかしい胃ろうの操作もこなしてが  んばっている。

平成12年2月17日(木)雪のち曇
  一昨日から降り続いた雪で積雪46センチを記録した。   養母の病名は「痴呆」ではなく、「ビーズワンガ病」と言い、高血圧の人がかかりやすい脳障害で、 その過程でボケに似た症状があらわれているだけで、いわゆる痴呆性老人とはまた違うらしい。

平成12年2月1日(月)曇
  38,9度の熱が3日続いている。

平成12年1月30日(日)雨
  「新介護制度では、寝たきりの親を抱えていると30万円もらえるらしくて、  ええなー」と言親戚がいた。「訪問看護、ヘルパー、デーケアなどにかかる費用を 月30万円以内で市町村が負担し、その内一割は家族が負担する、という新制度」を 理解していないとは言え、よくそんなことが言えるものだ。

平成12年1月29日(土)晴
  毎日母親を見舞っている妻の話。   「脳梗塞で入院している隣のおばあさんは、嫁が如何にひどいかを言い、向か  いのベッドの50歳過ぎの女性は、姑が如何にひどいかをそれぞれ語ってくれる  ので、自分としてはいろいろ社会勉強になるわ」と言っていた。

平成12年1月20日(木)曇
  胃ろうの手術も1時間半ぐらいで無事終わる。   隣のベッドでは、95歳のおばあさんの今後をめぐって、子や親戚らしき人達  が大声で話し合いをしていた。そのおばあさんは、「私はここがいい。家には帰  りたくない」と言っていた。

平成12年1月12日(水)晴
  夫婦で医者と今後の治療について話し合った結果、胃に穴を開けて栄養を送る  胃ろうの手術を施すことになった。妻が後から私に、「あれで本当によかったん  か?おばあさん、よけいに長生きするで・・・」とポツリと言った。養母と仲が  悪かった私に対して、気を使って言ったのだろうが、私はその時ドキリとした。

平成12年1月11日(火)曇
  ここ数日、なにも受けつけなくなり、夜9時、訪問医師に来てもらったが、先  生自ら119番してくれて、我が家に初めて救急車なるものが来た。そのサイレ  ンの音に胸が締め付けられる思いがして悲しかった。近所の人も心配そうに様子  を伺っていた。病院のベッドの隣室では、生まれたばかりの赤ん坊が元気よく泣  いていた。

平成12年1月6日(木)雨のち曇
  きょう、医師の往診を受けた。「最近ボタ餅しか食べなくなった」と医者に言  うと、医者は、「ボケが進んでくると最後に残るのは”甘いもの”に対する味覚  だけになってしまう。でも、セツさんにとっては毎日正月みたいなもので、いい  んじゃないの」と冗談混じりで説明してくれた。

平成12年1月3日(月)晴
  正月のため、近所へ嫁に行っている家内の妹が久しぶりに遊びに来た。市から  特注してもらった車椅子に乗った養母も交えてテレビを見ながらの夕食。妹は、  「なーんにもしゃべってくれえへん」とそんな母親にさみしそうだった。しかし、  時折見せる養母のするどい目つきが私を刺していた。私には、そんな母親が全く  ポケているとは思えない。

  平成11年12月9日(木)晴
  デー・ケアから帰ってきた母親に家内が尋ねた。「お帰り。どこへ行ってたん  や?」「浜へ」「浜って?何しに」「シジミ取り」「ウナギは取れなかったのか」  「取れんかった」。「浜」とは琵琶湖のことで、漁師だった夫の手伝いをしてい  た記憶がよみがえったのだろう。養母はこの日、よくしゃべった。

平成11年12月4日(土)晴
  午前、ほとんどしゃべらない養母が「座敷、座敷」とめずらしく話すので、妻  が仏間に連れていき、父親の遺影に対面させた。何が気になったのか。   午後、養母が安全柵をはずしベッドから落ちていた。その時おう吐していたの  でびっくりしたが、こちらの問いかけに「大丈夫」と言い、「あの子らは?」と  意味不明なことを言った。

平成11年12月1日(水)曇
  この1週間、養母がほとんど食事を取らないようになった。自ら口を開けよう  としない。医者は、「そろそろチューブを入れる時かなあ」と言った。

平成11年11月27日(土)曇
  近所の人が妻に、「新しい介護法になるとお金がたくさんもらえるそうやなあ。  あんたんとこ儲かってええやん」と言ったそうな。何をどう誤解しているのか知  らないが、これが介護に対する世間の考えなのか。

平成11年11月22日(月)晴
  物を言わない母親によく腹を立てている家内であるが、「おかあさんの部屋に  飾っておくんや」と言って、紅葉で真っ赤になったカエデの葉数枚を拾ってきた。

平成11年11月4日(水)曇
  日焼けや高血圧で赤銅色していた養母の顔が、最近色白になっていることにフ  ト気が付いた。一時は220もあった血圧が最近は120と平常にになったせい  もある。そのかわり、妻にまた円形脱毛が出来た。

平成11年10月27日(水)雨
  妻がホームヘルパー養成研修3級課程を修了した。その修了証書を大事そうに  仏壇に飾っていた。

平成11年10月14日(木)曇
  妻の介護ヘルパー講習も実習の段階に入ってきた。「つかれたー」と言いなが  らも、夕方、元気よく帰ってきた。その声に張りがあった。介護実習では、家で  は自分の親によく腹を立てるのに、他人の親だと不思議と腹も立ってこなかった、  と言っていた。

平成11年9月4日(土)曇
  妻がかけておいたテレビの漫才を理解できたのか、養母がめずらしくテレビの  方を向いて笑っていた。

平成11年8月12日(木)晴
  きょう、3級介護ヘルパー講習会参加希望者の抽選会だった。そして、2回目  にして抽選会に当たり、妻が気をよくして帰ってきた。9月から受講らしい。

平成11年8月6日(金)晴
  リハリビの先生が来て、声を出す練習ということで、「海は広いな 大きいな  ー」と歌ってくれた。そしたら、最初は知らん顔をしていた養母が、そのうち同  じように「海は広いな 大きいなー」と歌ったので、妻が驚き、感激していた。

平成11年8月2日(月)晴
  きのう1日は地元の大花火大会。自宅にいながら大輪の花火が見られた。妻が  「お母さんにも見せたろ」と言ってベッドから窓際へ連れてきたが、目をふさい  でいるだけ。それよりも、わが犬が花火のものすごい破裂音でストレスがたまっ  て膀胱炎にかかってしまった。ストレスにかかるのは人間様だけではないらしい。

平成11年7月30日(金)晴
  寝たきりの養母が身障者1級の認定をもらった。そして、いろんな恩恵を受け  られることがわかった。

平成11年7月24日(土)晴
  今朝仕事から帰宅した時、妻が語った昨夜の出来事である。正確に言えば今朝  2時頃のこと。隣の母親の寝室から聞こえてくるカンカンという音に目が覚め見  に行ってみると、母親がベッドの柵を振り回していたそうだ。「やめて」と言っ  てもすぐにはやまらず、勝手に手が動くらしい。   

   平成11年7月14日(木)晴
  妻の話である。デーケアーから母が帰ってきた時、めずらしく「ただいま」と  言ったそうである。そして介護職員に「ありがとう」と言い、その職員が「また  来週迎えに来ますね」と言うと、「お願いします」と返事したそうな。職員の人  たちも、「おー、はじめて口を聞いてくれた」と喜んで小おどりしながら帰って  いったという。

平成11年7月10日(日)晴
  長男が4カ月ぶりに大阪から帰ってきた。その子がおばあさんに「ただいま」  というと、養母は「おかえり」と返事した。「私が話しかけても滅多に返事もし  ないのに、どういうこっちゃ」と妻が言った。

平成11年7月8日(木)晴
  歯科衛生士が来てくれた。母は総入れ歯であるが、歯茎が赤くブヨブヨに腫れ  あがっているらしい。マッサージの仕方を教えてもらった。

平成11年7月7日(水)晴
  デーケアーで風呂に入れてもらった養母が腕に包帯を巻いて帰ってきた。聞く  と、ゴシゴシと体を洗っていたら、出血するほどにズルッと腕の皮がめくれたそ  うだ。通常では考えられないことだが、それだけ皮膚が弱っているのだろうか。

平成11年7月6日(火)晴
  妻がめずらしく七夕飾りをしたいというので、二人で近くの山へ笹竹を取りに  行った。七夕飾りなど十数年振りのことで、なぜまた・・・と聞くと、七夕を母  親の部屋に飾ってやりたいのだという。よく口では愚痴をこぼしている娘である  妻も、本当はものすごく気にしているのだなあと思うと、なぜかホッとした。午  後10時半、妻は今も一生懸命折り紙を折っている・・・。

平成11年7月4日(日)晴
  養母の部屋からなにかかすかに音がしたので見に行くと、母がベッドから落ち  ていた。妻がびっくりして大丈夫かと声をかけると、「大丈夫」と返事して笑っ  ていた。

平成11年7月1日(木)曇のち晴
  この間からリハリビの先生が週1回来てくれるようになった。その先生の話で  は、「おばあさんのあごがはずれやすくなっていることと右足が硬直してきてい  る」ということだった。

平成11年6月22日(火)雨のち曇
  いつものとおり夕食を終えた養母だったが、まだ物足りない様子を見せるので  妻が、「まだお腹が一杯にならへんのか」と聞くと、「うどんが食べたい」と何  週間ぶりかに口を開いた。そしてどんぶり一杯のうどんを平らげたという。「だ  から雨が降るんや」と妻が笑っていた。

平成11年6月1日(火)晴
  きょうは蒸し暑い一日だった。そのせいもあったと思うが、「ご飯もあまり食  べてくれずお茶も飲もうとしない、ただポケッーとしている母親を見ているとイ  ライラしてくる」と妻がぼやいた。

平成11年5月28日(金)曇
  26日から1週間の予定でショートステイによりふるさと園に預かってもらっ  ていた養母が突然きょう帰ってきた。母は3日間ほとんど飲まず食わずだったら  しい。「どうしても食べてくれない」と言って帰されてしまった。しかし家で妻  が食べさす食事はほとんど平らげた。呆けていても家が一番なのだろう。

平成11年5月22日(水)晴
  蒸し暑い一日だった。夜、NHKテレビの番組で島倉千代子が「東京だよ、おっか  さん」を歌っていた。それまでポケッーとしていた養母が突然身を乗り出すよう  にしてその歌に聴き入っていた。

平成11年5月19日(水)曇
  妻が最近スイカやメロンの切り身を買ってくるので、「どうしたん?まだこん  な高いモノを」と聞くと、「おばあさんがお茶をあまり飲まず、オシッコの出が  悪いので買ってきたのや」と言った。スイカやメロンだと喜んで食べるらしい。

平成11年5月11日(火)晴
  妻が腰と足を痛め、数日前から接骨院に通うようになった。母親を風呂に入れ  る時が一番大変のようだ。

平成11年4月11日(日)晴
  夜、近くの公園へ家族で桜見に行く。妻と娘が弁当を作ってくれた。帰りに妻  が、「おばあさんにも桜を見せてやろう」と言って、幹の下に生えていた桜の小  さな小さな枝を折って大事そうに持って帰った。

平成11年2月12日(金)曇時々雪
  椅子に座っていても自分の身体も支えきれず、妻が口へ持っていく食事にも固  く口を閉ざし、無理に口を開けておかゆを差し込んでも口にジッと含んだまま、  噛むことも飲み込むことも忘れたようにしかめっ面をしているだけ。妻は「もー、  イヤ」と言いながら涙ぐんでいた。

平成11年1月25日(月)曇
  インフルエンザで我が家も自分を除いて全滅。特に、妻が寝込んだことが大き  な痛手。養母には申し訳ないが、きょうから1週間程ショートステイで預かって  もらうことにした。

平成10年12月24日(木)曇
  きょうから、市立病院から紹介してもらった医師が月に1回、往診に来てくれ  ることになった。

平成10年12月21日(月)晴
  養母の尿の出が悪く、妻が一人、母親を車椅子に乗せて病院まで約2キロを歩  いていったという。途中歩道橋があるのに、よくもまあ、その急な上り坂を押し  て行ったものだと感心する。

平成10年12月20日(日)曇
  時折強く吹く冷たい風。そんな中、養母が5カ月振りに退院。妻と二人で迎え  に行く。退院と言ってもよくなった訳ではなく、ボケは徐々にひどくなっていく。 それでも家には孫が迎え、犬達もいて、賑やかなせいか養母の顔もほころぶ。

      平成10年10月11日(日)晴
  夕方になって犬を散歩に連れていった。公園に老夫婦が二人。男の方が妻の手  を取って爪を切ってやっていた。よく見るとその女の人はボケているようだった。

平成10年8月16日(日)晴
  午前中、妻と二人で養母を車椅子に乗せ墓参りに行く。

平成10年7月31日(金)晴
  母親の介護に専従するため妻が本日付けで7年間勤めた職場をやめた。7年と  言えば、今大学1年生の長男がまだ小学校6年生だった頃であり、いまや呆けて  しまった養母もまだまだ元気印で、私とよく反目しあっていた頃だった。そうい  うことを思うと7年という歳月が重たく感ぜられる。

平成10年7月21日(火)晴
  退院から17日しか経っていないのに養母がまた入院した。朝食のため妻が母  親を起こしに行ったが全く反応がなく、すぐに病院へ連れて行った結果、原因不  明の意識障害があるとして即入院となった。点滴治療の結果、少し元気になり、  妻は「おばあさんはまるで紫陽花のようや」とつぶやく。

平成10年7月4日(土)晴
  このところ猛暑が続いている。養母退院のため、夕方妻と2人で病院へ迎えに  行く。妻が「家へ帰ろうか」と言うと母は顔をくしゃくしゃにして泣いた。同じ  部屋の人達に「お世話になりました。皆さんもお元気で」と挨拶をして帰ろうと  した時、養母より二番目に古い、脳梗塞で寝たきりになってしまった入院患者の  老婦人が泣いていた。自分も帰りたかったのか。それとも仲間が去っていくのが  淋しかったのか。帰り際、激しい雨が降ってきた。

平成10年7月1日(水)晴
  妻の頭に円形脱毛が出来た。

平成10年6月26日(金)曇
  もうすぐ養母が退院してくる。きょう、担当医が養母に「もうすぐ家に帰らせ  てあげるからね」というと母は「帰りたい」とオイオイと声を上げて泣いていた。

平成10年5月27日(水)晴
  昨夕、妻が仕事から帰宅するなり、「めまいがする」と言いながら倒れ込む。  病院の神経内科で診てもらったが結果は異常なし。疲れから血圧が急激に下がっ  たことが原因らしい。帰宅後妻は一日中眠る。私は一人うどんを作りながら涙ぐむ。

平成10年4月27日(月)晴
  きょう胃カメラを飲んだ。医者は「うーん、胃かいようが出来ているね」と説  明。病院からの帰り、彦根城の堀をのぞくと亀が11匹仲良く一列に並んで甲羅干ししていた。

平成10年4月21日(火)曇
  やはり季節の変わり目なのか、このところ胃の調子がよくない。体がだるい。  イライラする。ごはんが食べられない。

平成10年4月10日(金)晴
  養母がベッドから一人で降りて、部屋の窓際まで歩いたと、妻がうれしそうに  話してくれた。

平成10年4月2日(木)晴
  老人会長が「知らなかったとは言え見舞いが遅れて申し訳ない」と養母の見舞  いに来てくれた。思いがけずやさしい言葉をかけられると涙してしまう。

平成10年3月16日(月)晴のち曇
  妻がうれしそうに話してくれた。「今朝相変わらずポケエーとしていた母が、  昼からの初めてのリハリビをしてもらった結果、こちらの問い掛けに対してしゃ  べるようになってくれた。スプーンも右手で持つようになった。リハリビってす  ごいなあ!」と言って涙ぐんでいた。

平成10年3月11日(水)曇のち雨
  親戚が養母の見舞いに来てくれた。彼らは口々に、「どうしてこうなってしまった  のか。もっと気を付けてあげられなかったのか」と責めてきた。

平成10年3月7日(土)小雪
  夕方、職場から自宅へ電話を掛けるのだが、夜9時になっても電話がかからな  いので心配していたら、養母の具合が悪くなり入院したとの知らせ。こたつ板の  角で頭を打ったのが悪く、ジワジワと脳内出血していたという。医者の話では寝  たきりになる恐れありとのこと。

平成10年2月27日(金)曇
  午後11時ころ、養母がふとんにけつまずいて倒れ、こたつ板の角で後頭部を  打つ。すぐに病院へ連れていった結果、4針を縫う怪我。

平成10年1月25日(日)曇
  昨夜からの雪がめずらしく16センチも積もる。養母は「トイレがどこにある  のかわからんようになった」と朝早くからうろうろしていた。

       平成10年1月24日(土)晴のち雪
  長女からの話である。朝9時、養母が起きてきたと思ったら何度も外へ出よう  としたらしい。「起きてきたばっかしやのにどこへ行くの」ととがめると、養母  は、「起きてきたばっかしということがあるか。今まで田んぼ仕事に行ってたの  に」と怒るように返事したらしい。

平成10年1月5日(月)雨
  午前1時、みんな寝静まっているのに同居している妻の母親が、トイレに行っ  ていると思っていたら台所でひとり座ったままにしていた。「誠ちゃんがな、ま  だ帰って来てないでな、待ってるんや」とのこと。「何言ってんの。誠はもう寝  てるがな。晩ご飯も一緒に食べたやろ」と妻が言う。養母は「そうか?」と言っ  て寝床に戻ったが、今度は午前2時、部屋の明かりがついたままだと思っていた  ら布団をたたみ着替えて座っている。「何してるんや。きょうからまた仕事に行  かなならんのにええかげんにしいや!早よ寝てくれんとこっちが寝れえへんやな  いの」と妻が怒る。午前3時、今度は下半身裸になって震えている。午前4時、  頭から靴下までびしょびしょになっている。オシッコは毎日管を通して取ってい  るので出るはずがないのに、外は雨、知らない間に外へ出ていたのだろうか。結  局その夜は眠れず、妻は不機嫌なまま仕事に出掛けた。

平成9年11月22日(土)晴
 養母が四泊していた養護老人施設「ふるさと園」から帰ってきた。妻の妹が手術 のため付添介護することになり、その間母親を施設に預けていたのだが、こんな長期 間の外泊は初めて。そういうことから迎えに行った時の話である。施設の人が、 「前川さ〜ん、家の人が迎えに来てくれたよ」と呼んでくれた後から、ニコニコ顔で 二階から降りてきたかと思うと、今度は泣き顔になって子供の手をしっかりつかみ、 「迎えに来てくれたのかあ」とその手をずっと離さなかったという。

平成9年9月30日(火)晴
  午前4時。寝床から出て行くのがわかったがなかなか帰ってこないので妻が様  子を見に行くと、養母が真っ暗な台所で一人座り込んでいた。「ご馳走を食わし  てくれるというのでここで待ってるのや」とのこと。「誰が?」というと、「誰  か知らないけんど、肉を食わしてくれるというので」と答えた。「何言うてんの。  外はまだ真っ暗やでえ。早よ寝い。またお肉買ってくるから」と言うと、一旦部  屋へ戻ったが、また台所へ行きテーブルのイスに座り込んでいた。

平成9年7月4日(土)晴
  妻が母親と2人で「二葉百合子」の歌謡ショーを見に行く。普段喜怒哀楽を示  さない養母が、ステージに身を乗り出し手拍子を取りながら、歌に聴き入ってい  たということであった。握手までしてもらったらしい。

  平成9年3月11日 (火)曇
  私が当直中で留守の時の出来事。午前4時ころ、養母が廊下の高窓の鍵を開け、  外へ出たらしい。この物音に気づいた妻は最初泥棒かと思って息飲んだが母親が  いないことに気づき、誠と共に2人で外を探し回る。その結果、農協前信号交差  点付近歩道を裸足で歩いているのを妻が発見。「どこへ行くつもりだった?」と  聞くと「わしボケてるでわからん。」と答えたという。

平成9年3月12日(水)晴
  午後11時ころ、養母が起きてきて「ふるさと園の先生に手紙を書いてもらい  たいんや」と言い始める。「何を?」と尋ねると「あのなあ、わし、アホになっ  たみたいやから、先生に治してもらえるように頼んでほしいのや」と言った。

平成9年3月27日(木)晴
 きょうは母の69歳の誕生日。妻が誕生日の祝いだと言って「話す人形」をプレゼントした。 気に入ったらしく大事に持ち歩いている。「おばあさん、いくつになったんや」と妻が尋ねると 「23歳」と答えた。なぜ、23歳なのか。妻の話では、母親は23歳でこの家に嫁に来たという。

平成9年4月3日(金)曇
  風呂から上がって着替えの時、パンツを頭から被ろうとしている。何度教えて  も判らない。すでに自分の身体も顔も歯も洗えないでいる。放っておくと手ばか  り何度も何度も洗っているだけである。

平成9年4月14日(月)晴
  親戚の法事のため、奈良の親戚が来訪した。その時母親曰く、「わし、  ボケてへん。ボケてる真似しているだけや」と言う。他人と話している時は普通  にしゃっべっているから本当に不思議であり、それがしゃくにさわる時もある。

平成9年4月26日(土)晴
 午前2時。母親が起きてきて、自分の部屋の出窓を指差し、「そこにマコっちゃんが 乗っているで降ろしたり」という。「誰もいいひんがな」と言うが、「いや、いる。早よ、降ろしたり」と言う。


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