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昭和34年12月2日、三井による1492名の指名退職勧告に端を発した三池争議は、翌35年11月2日のスト
解除指令の日まで実に1年近くにわたって繰り広げられた総資本対総労働の闘いであった。 その闘いは、昭和28年8月から同年12月までの「英雄なき113日の闘い」と呼ばれ組合側が勝利した争議のときから、会社側としての 来る闘いへの備えはすでに始まっていた、とも言われている。 よって、三池大争議の発端となった第2次合理化案の特徴は、「勤務状態不良の者」「集団生活不適当な者」を理由とした職場活動家 の排除であり、単なる人減らしではなかった点にある。 それは、おとなしい父ちゃんであっても、その母ちゃんが三池主婦会でバリバリだったりすると、その影響をモロに受けて首になる 父ちゃんたちもいたほどである。 ![]() (昭和35年、三川鉱にて)
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