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昭和35年3月29日午後5時頃、熊本県荒尾市大島 四山鉱正門前でピケを張っていた三池労組の
久保清さんが暴力団に刺殺された。 三井鉱山から激励を受け大牟田市の笹林公園を出発した200人程の暴力団員は○○組の旗を立てたトラック、ハイヤー20台、 バス2台に分乗し、同市不知火町にあった三池労組本部に押しかけ「市民の立場として来た。これから市内をパレードする。」 と告げた後、市内をデモンストレーションし、また、臼井社宅の集会場に土足で上がり込むなどして威勢を張り、午後5時頃 四山鉱南門に到着した。 トラックにはツルハシの柄等が積まれていた。彼らの車両の後部には約50人の警官を乗せたバス1台も警戒のためついていた。 暴力団員は日本刀などをちらつかせながら、南門から約300メートル離れた正門に向かっていった。
正門前ではピケ隊275人が素手のまま整然とピケを張っていた。と言うのも、前日の28日、四山鉱南門前でピケ隊と暴力団
との小ぜりあいがあったため、熊本県警荒尾警察署から三池労組四山支部長に対し、「各暴力行為は警察が責任を持って取り
締まるので、組合側も棒きれなど持たぬようにしてほしい」と申し入れがあったことによる。
当時組合側は、この警察の対応に対し、「事件は会社か大牟田再建市民運動本部(三井関係商社を中心に結成)と関係のあ
る暴力団によるもの」として荒尾警察署長を組合本部へ招致して翌朝まで抗議し続けたが、同署長は「もうすぐ8時半になる。
そうすると署員が出勤してくるのでそろそろ帰らせてほしい。」と申し入れたという。
労働法などが整備されて15年もたっていた三池争議においても、大正、昭和初期と同じように、暴力団などの外郭団体がそ
の影にいたというのは事実で、三井の各事業所を通じて集められた約千人の「いれずみ部隊」なるものが存在していたという。
彼らは、会社側から長さ1メートルのカシの棒とタテ、作業着などと日額千円の支給を受け、ホッパー周辺に待機されられてい
た。 昭和35年3月30日 衆議院会議録情報 第34回国会 地方行政委員会 第18号
○ 警察庁警備局長 江口警視監 答弁
○阪上委員 質問
![]() 日本刀など凶器を積んだトラックが四山鉱正門前に停車した
ピケ隊に襲いかかる会社側の暴力団
遺族
あなたを担架で運んだコンクリートの道の上には、あなたの赤い血が夕闇の中に、私たちの
行く道を正しく示しているかのように、どこまでも続いていました。久保さん、あなたと魂を一つにして闘い続けてこられ
た奥様は、冷たくなってしまったあなたを抱きかかえて、一晩中泣きつづけられました。久保さん、奥様の肌のぬくもりを
感じられましたか。そのぬくもりは全国の働く仲間の体温です。この全国のきょうだいの怒りの声があなたに聞こえますか。
みんな歯ぎしりして泣いていました。仇を打たせてくれと。 |