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1955(昭和30)年の滋賀県在住朝鮮人(韓国・朝鮮)人口によると、大津市1864人、滋賀郡堅田町
354人であったが、10年後の1965年になると、大津市1901人、滋賀郡堅田町256人と推移していった。大津市と堅田町との合併後の
1996(平成8)年大津市在住朝鮮人人口は2860人となっている。 朝鮮帰国事業は、1959(昭和34)年12月14日に最初の帰国船が新潟港から出航し、1984(昭和59)年まで続いた。93,340人が朝鮮へ と渡って行った。その背景には、「就職差別」「結婚差別」等があり、同じ差別をされるのなら、父母のふるさとで暮らした方がマシ かも知れないというかすかな希望を抱いて、日本への惜別の思いも残しながら、海を渡って行った人たちも多かったという。 ![]() 大津市堅田(2012年4月4日撮影)
表「在住堅田朝鮮人帰國記念樹」、裏「一九六〇年」。大きさ54×18。
大津市堅田(2012年4月4日撮影)
表「在住堅田朝鮮人帰國記念樹」、裏「一九六〇年」。大きさ70×18。
大津市堅田(2012年4月4日撮影)
表「在住堅田朝鮮人帰國記念樹」、裏不明。大きさ48×26。
大津市石山(2012年4月4日撮影)
表「歸国記念」、右横「一九六〇年七月植樹 膳所學區内朝鮮人歸国者一同」。大きさ70×15。
大津市膳所(2012年4月4日撮影)
表「歸国記念」、右横「一九六〇年七月植樹 膳所學區内朝鮮人歸国者一同」。大きさ66×15。
側には記念樹であるキンモクセイが大きく育っている。
「この木の下で会いましょう」と、7月4日、来たる16日第30次帰国船で帰国する朝鮮人児童10人と父兄らが帰国記念の植樹を行なった。
父兄たちがお金を出し合って買ったキンモクセイ1本を植樹した。仲よしだった在校生は「1人の友だちと別れるのもさびしいのに、一度に
10人もの友だちと別れるのはなおさらです。国へ帰っても仲よくし、住みよい世界を作りましょう」とあいさつした。7家族(63人)は
7月11日午後6時膳所駅を出発して新潟に向かう(昭和35年7月5日付け京都新聞)。
大津市追分町(2012年4月4日撮影)
表「在日朝鮮公民帰国記念」、裏「一九六〇年五月(?)」。読みづらくなっている。大きさ92×18。
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