1946(昭和21)年の醒井小学校民族学級開設の後、1951年頃米原小学校にも民族学級が開設され、二クラス約60人が学んだ。
教室は、体育用具を入れる倉庫みたいな所から始まった。児童の多くの父兄らは、終戦により解放された大阪俘虜収容所第10分所(米原町梅ヶ原)の捕虜に
代わって、米原駅西口に拡がっていた入江内湖の干拓工事に雇われ従事した。しかし、1960年11月、朝鮮帰国事業によりその多くが集団帰国すると、同校民族
学級は1964年頃閉鎖された。
![]() (写真提供・滋賀朝鮮初級学校)
1961年3月、旧米原小学校民族学級における湖北朝鮮初級学校卒業写真。
「平和の光」像 (2012年2月21日撮影)
旧米原小学校に立つ「平和の光」像。「贈 平和の光 朝鮮民主主義人民共和国帰国記念 1960年11月22日」と記されてある。
旧米原小学校(2012年2月21日撮影)
当時の校舎は、東側と裏側にも建っていた。現在裏側には保育園が建つ。校舎前広場はかつての運動場。
北側から見た旧米原小学校(2012年2月21日撮影)
1955(昭和30)年の滋賀県在住朝鮮人(韓国・朝鮮)人口によると、坂田郡米原町253人、坂田郡醒井村268人で
あったが、1960(昭和35)年、両町村合併による米原町77戸351人、1965(昭和40)年米原町177人、1984(昭和59)年米原町68人、1996(平成8)年
米原町37人、と推移していった。
校舎内(2012年4月15日撮影)
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