死んだ人は何も言わない
重傷の池畑さん(機械工)の話
(昭和38年11月16日付け 三池労組機関紙「みいけ」より)
昇坑直前に、坑内から三川支部に電話をしていると、突然電話が切れ、電灯が消えた。「おかしいな」と
思いながら、みんなと本線(主要坑道)まで出てくると、前の方から白い煙が「サーッ」と吹いてきて、それに追われるように、
奥の方へ逃げて来た人たちが、目の前でバタバタ倒れはじめました。少し進むと21卸のゼロカタなので、そこに逃げ込もうと
思ったのです。これはいかんと思って、排気道の方へ回って21卸に逃げようとしました。
隣りの同僚が倒れ掛かったので、肩をかして引き返して歩きはじめた時に同僚が倒れ、私も足が動かなくなりました。いっし
ょに歩いていたまわりの人たちがバタバタ倒れはじめるし、横の溝に倒れ込む人もいます。私は「もうダメだ」と思い、横のパ
イプに腰掛けました。まわりには、ゴロゴロと人が倒れ、ガスで頭が狂い大声でわめく人、唄を歌う人、「南無妙法蓮華経」と
唱える人、脱糞をする人など、この世の地獄絵でした。
私はいつも紙と鉛筆を持っているので、何か書いておこうと思ってそれを取り出し「池畑」と書こうとしたが、もう指の神経
も効かなくなり、変な字になりました。「もう最後だ」と思って、紙を袋の中に入れてからすぐわからなくなりました。
気がついたのは担架で宮浦に上がる途中でした。
どんな運命なのか、あのたくさん倒れた人々の中から私は生き返ったのです。今、家に帰って一人で考えると、たしかに死ん
だ人たちはもうなんにも言いません。その中から生き残った自分は、二度とこの悲惨をくり返さないために、命を守るために、
闘う義務を負って選ばれたのだなあと思います。
人間の命はかけがえのないものだし、人間一人ひとりが自分で守ってゆく以外にありません。われわれは労働者です。命がな
いかぎり、母も弟も姉も生きられません。
資本家の独善のために、多くの仲間たちの命が奪われたことに、何とも言えない本当の怒りが今、沸いてきます。
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