奇跡の生還、しかし・・・息子二人は殺された
地底から奇跡的に生還したFさんの話
(1984年3月1日三池労組発行 「悲しみを怒りにかえて」より)
有明鉱坑内火災から24時間ぶりに救出された下請けのFさんは、「俺は下請。最初に助けるのは直轄の
人たちだから、組の俺たちのところは一番最後になる。負けんぞ、助けに来るまでがんばるぞ、火が消えんなら水を入れるじゃろ
な。水を入れるなら助からんぞ。そん時ゃそれまでたい。夕張の時は水を入れたなぁー。夕張にも俺と同じような人がおったかも
知れんぞ。苦しかったろうな。俺もそうなるかなぁ」と思ったという。以下は、同じ坑道で長男(24歳)と次男(19歳)の2
人を亡くしたFさんの生々しい体験談である。
自分は「みんなこっちに来い」と叫んだが、息子二人は俺の言うことを聞かず、係員の言う方に逃げた。
呼び返そうと振り返ったが、もう一寸先も見えなかった。地面をはいつくばって手さぐりでエアー管を求めてにじり寄り、手に触
った。あった。取り出しコックを探し当てた。着ていた上着を頭からかぶりコックを開けた。まだ煙が入ってくるようだ。ズボン
を脱ぎコックの根元に巻きつけ煙が入るのを防いだ。
そのまま6時間ぐらい待った。腰が痛い。無理な体形で腰を掛けているので尻が痛む。しかし我慢が大切。思い切って外を見て
みる。前より少し煙が薄くなった。近くに布風管があったはずだ。あれを使おう。思い切ってCOマスクを使うことにする。風管
の片方をしばり、絞った。片方をエアーコックにしばりつけた。ノコを使って一箇所空気を逃がす穴を空ける。やっと避難所が出
来た。20人位入れる。エアーを出しマスクをはずし、不安だったが安全灯を消した。子供2人はどうしただろうか。清正は?和
敏は無事逃げただろうか?俺の言うことを聞いておればよかったに。
俺は下請け。最初に助けるのは直轄の人たちだから組の俺の所は一番最後になる。負けんぞ。助けに来るまで頑張るぞ。火が消
えんなら水を入れるじゃろうな。水を入れるなら助からんぞ。そんときゃそれまでたい。夕張の時は水を入れたなぁー。夕張にも
俺と同じような人がおったかも知れんぞー。苦しかったろうな。俺もそうなるのかなぁー。
不安と恐怖が入り混じり気が狂いそうだった。気をしっかり持たなければと歯を食いしばった。何度も死ぬかと思った。時々手
を出して外の様子をうかがった。折を見て顔を出したら煙も少なく、周囲がよく見えるので外に出てみた。光が三つ四つ見える。
ひょっとすると息子たちが生きているのかな、と一瞬思った。役に立たぬとは思ったが、マスクを付けて外に出て安全灯で合図す
るが応答がない。歩いた。近づくと救護隊のようである。今ごろ救護隊が来よるが、ガスが無くなってから助けに来るとバイなー。
すぐ傍を見ると、上の息子清正が仰向けに倒れていた。頭に血がカッーとのぼった。と突然、「生きとらすバイ」との声が聞こ
えた。そして「バンザイ」の声。「このやろう。何がバンザイか。今ごろきやがって。このアホたれがー」。力一杯怒鳴った。胸
の中の思いが一度に爆発した。思わず息子を抱き起こしてやりたかったが救護隊に腕をとられてはなすすべもない。「今何時な?」
「1時たい」。夜中の1時かと思った。よく聞くと翌日の午後1時過ぎである。24時間もそこにいたことになる。
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