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昭和42年9月28日午前5時45分頃、大牟田市三川町 三井三池鉱業所三川鉱の350メートル
先坑道で火災が発生。同時に発生したCOガスなどのため、7人が死亡。二百数十人のCO中毒患者が再び生まれた。
(昭和46年4月1日付け三池労組機関紙「みいけ」参照)
当時の新聞は「また襲う後遺症の不安。黒い煙に必死の脱出。不吉なCO中毒の記憶。無理な採炭たたる。事故が起こり やすくなっているのはなぜか。ヤマの関係者は口をそろえて人不足と老齢化をあげる。新しい石炭政策がスタートし、ヤ マの再建が始まったばかりだというのに、このところ出炭不振が続き、計画を達成出来そうにない。そこで各ヤマとも他 の仕事を多少遅らせてでも採炭に人を回すというやりくりに懸命。こうした無理なやりくりが鉱員の疲れを招いているよ うだ。」と報じた。 翌日、福岡県警は三川鉱を強制捜索。会社の責任を追及したが、結果はまたまた不起訴に終わった。
![]() うって変わった肉親の姿に、遺族はただとりすがるばかりだった
同上
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