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開戦後、国内の炭鉱は「明日の10トンより今日の1トン」を合言葉に増産を強いられ、18年には全国で
年間5500万トンという信じられない生産をした。なかでも九州は、3000万トンを越す出炭であり、その中心となったのは三井三池炭
鉱だった。 外地の戦線に駆り出された労働力を埋めるため、三池炭鉱では、大牟田、荒尾両市近郊の農村の人手、学徒動員、米英豪の連合軍 捕虜はもとより、朝鮮半島や台湾からもほとんど強制的に労働力をかき集めた。 「華工」と呼ばれた中国人労働者は、昭和18年10月までに、主として中国・山東省で日本の軍隊によって駆り集められた。その数 約2400人。その内、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱では、中国人労働者が2年間で564人も死亡するなど、その労働は過酷極まりなか った。坑内では厳しいノルマと日本人指導員による虐待。宿舎は鉄条網で囲んだ急造のバラック。満足な食事も与えられなかった。 中国人労働者たちの状況は悲惨だったという。 そんな中の2002年4月27日、「中国人強制連行 三井鉱山に賠償命令 企業責任を認める」という福岡地裁による判決が下された。 勝利判決を得た中国人原告団たちは支援者の案内により中国人労働者慰霊碑の地を訪れた。彼らはそれまでは万田鉱があったここ荒 尾をよくは思っていなかったが、この、日本人が建てた中国人労働者慰霊碑を見て心は変わったという。 そして、原告団の中国人女性弁護士はこの時、慰霊碑の前に一個の小石をソッーと供えた。それは、故国・中国の石なのだろうか。 ![]()
中国人殉難者供養塔建立碑文(右側)
不二之塔建立碑文(左側) |