中国人労働者慰霊碑  熊本県荒尾市樺 正法寺 (2002年7月26日撮影)


 開戦後、国内の炭鉱は「明日の10トンより今日の1トン」を合言葉に増産を強いられ、18年には全国で 年間5500万トンという信じられない生産をした。なかでも九州は、3000万トンを越す出炭であり、その中心となったのは三井三池炭 鉱だった。
 外地の戦線に駆り出された労働力を埋めるため、三池炭鉱では、大牟田、荒尾両市近郊の農村の人手、学徒動員、米英豪の連合軍 捕虜はもとより、朝鮮半島や台湾からもほとんど強制的に労働力をかき集めた。
 「華工」と呼ばれた中国人労働者は、昭和18年10月までに、主として中国・山東省で日本の軍隊によって駆り集められた。その数 約2400人。その内、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱では、中国人労働者が2年間で564人も死亡するなど、その労働は過酷極まりなか った。坑内では厳しいノルマと日本人指導員による虐待。宿舎は鉄条網で囲んだ急造のバラック。満足な食事も与えられなかった。 中国人労働者たちの状況は悲惨だったという。
 そんな中の2002年4月27日、「中国人強制連行 三井鉱山に賠償命令 企業責任を認める」という福岡地裁による判決が下された。 勝利判決を得た中国人原告団たちは支援者の案内により中国人労働者慰霊碑の地を訪れた。彼らはそれまでは万田鉱があったここ荒 尾をよくは思っていなかったが、この、日本人が建てた中国人労働者慰霊碑を見て心は変わったという。
 そして、原告団の中国人女性弁護士はこの時、慰霊碑の前に一個の小石をソッーと供えた。それは、故国・中国の石なのだろうか。



 中国人殉難者供養塔建立碑文(右側)
 第二次世界大戦によって強制労働を強いられ労苦の果て望郷の念断ちがたききまま、異国の地に尊い人命を犠牲にされた多くの 中国人殉難者に対し、深甚なる哀悼の意を表すると共に永遠に追善供養の真を捧げんが為、供養塔建立を発願し僧俗一体となり、 県下各地を托鉢し広く県民の世論に訴え真心こもる浄財を賜り茲(ここ)に念願の供養塔をゆかり深き当山に建立し得た事は、偏 に月輪大師の御霊徳の然(しか)らしむ処であり県民の理解ある御支援御協力の賜と深謝の意を表する次第である。  願わくば月輪大師の超宗派的教学の御心に添い世界の平和と共存共栄を願う仏教徒として、国交回復の一日も早からんことを 念願し日中両国の国際親善に聊か(いささか)でも寄与せん事を願う次第である。
    昭和47年4月12日

 不二之塔建立碑文(左側)
 第二次世界大戦によって中国人殉難者と同様、強制労働を強いられた朝鮮人労働者は、苛酷な労働と差別待遇を受け労苦の果て 望郷の念断ちがたく、異国の地に尊い人命を犠牲にされた多くの殉難者に対し、深甚なる哀悼の意を表すると共に、斯かる不祥事 の二度となきを誓願、永遠に供養の真を捧げんが為、不二之塔建立を発願せり。
    昭和47年10月29日

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